『TENET テネット』の時間逆行の理論について少し。
時間逆行弾などは局所的なエントロピーの強制減少、で簡単に説明がつく。銃弾そのものだけじゃなく、銃撃音なども"逆行"していただろうと考えると、「非常に非常に確率の低い現象を意図的に起こすことの出来る能力」が未来人にはあるということ。この意味では、状態が重ね合わされた波動関数から任意の状態を抜き出すことの出来るチート技術ともいえる。そこまでの事象の選択性を持っているかは謎だが。ただ、この技術の延長線上では、多分イーガンの「宇宙消失」でモッドを使った「壁のすり抜け」も出来るんじゃないかと推測される。
局所的(空間の一部分、大域的でない)なエントロピーの減少=非常に確率の低い現象を起こさせる、と言えるのは直観的に説明するなら、やはり時間逆行弾が分かりやすい。順行時間線では、銃弾が銃口を出た際、発せられた音や爆風は一点から放射されるため、物理的にその初期条件の記述が極めて簡単である、というのが重要。反転時間線では、音や爆風が銃口の一点に収束していく、という現象になるため、ゴールに同時に到達するためにタイミングが完璧にあっている必要がある。これは順行時間線の解と、微分方程式(運動方程式)を解く上での境界条件としての取り扱い方は対等とはいえ、後者は「そんな初期条件は宇宙が終わるまで待っていても、現れやしない」ということで、熱力学的には対等な解とは言えない。
したがって、我々の世界は確率のはるかに高い現象の方が観測されるわけだが、未来人は熱力学の第二法則を克服し、確率の操作が可能になったんだろう。まあ『インターステラー』(2014)でも観られたように、いずれ5次元存在となる人類ならば、やってやらないこともない筈である。『インターステラー』の未来人は、『TENET テネット』よりも遥か先の未来の人類なのだろうか。『インターステラー』の未来人は重力を量子化し、もはや完全な究極理論(4つの力の統合)は完成しており、肉体を捨て、5次元存在となり、時間を自由に行き来出来ているわけだから、そうなんだろうな。
そして、時間逆行の論理説明の際に一瞬出てくる「反粒子」についてだが、この粒子の時間逆行性は「エントロピー」とまるで関係ない。回転式の逆行扉は「自身の時間方向を反転する」能力を持ったシステムである。これはもう、明らかに時間の性質が「エントロピーの強制減少」によるものとは異なっている。そもそも「エントロピーの強制減少」によって「時間の逆行」は起こらない。前提として、エントロピーの増加方向が規定するのは「熱的な時間の矢」である。「熱的な時間の矢」以外にも、「宇宙論的な時間の矢」(宇宙膨張によって規定される時間の方向性)や「力学的な時間の矢」など色々ある。結局のところ、「時間の方向性」というのは様々な現象を通して、そこに規定要因を見出すことは出来るが、「時間の方向性」そのものを何か原理的に導けているわけではない。エントロピーを減少させたとしても、他の「時間の矢」がどのような影響を受けるのかが分からないし、付け加えればそもそも「エントロピーを減少させる」というのはマクスウェルの悪魔(デーモン)を介入させるということであることを考えると、"時間"を逆行させるということとは同義とはなり得ないように思う。だから、執拗に「エントロピーの減少」と言っていたのかもしれない。なお、「反粒子」は別にそれ自身が時間を逆行するわけではない。数学的には、時間逆行をする解と同じ、というだけのこと。時間反転をすることは数学的には時間にマイナスをかけることと同じで、t(時間)→-tという時間反転に対して、粒子のエネルギーも同じようにマイナスをかけてやると、時間発展演算子の形が変わらず、「数学的には許される解」の一つとなる。これが理由で、「反粒子は未来から過去に向かう粒子だ」などとファインマンは(半ば広告的に)説明した。
ちなみにマクスウェルの悪魔。未来人のエントロピー強制減少、は少なくともモデル的にはデーモンを使って、分子を選択して振り分けている、というような技術を使っているだろうと推測される。ただし、情報熱力学的には、デーモンが介入するためには、「情報」(これは電力などの仕事として取り出せることが分かっている。すなわち実在する量といえる)に物理的なメモリを割く必要があることを考えると、デーモンは何かしらの実体を持っている必要がある。何かしらの微細な計算機、観測器が逆行弾の中にでも入っていたのかもしれない。