宇宙 情操教育 Endwalkerクリア者向け
宇宙を飛翔したメーティオンは、「生命は終わった方がいい」という結論を出す。
かわいそうだし失礼な表現にはなるが、生物ではない彼女が勝手に口を出していい話ではない。メーティオンは「たまたま滅びに向かった星にばかり当たってしまった」可能性を考えなかった。平均的な結果を予想したのに驚くほど偏るなんてよくあることだ。目の前の結果と己の願望を混同してはいけない。ヘルメスはメーティオンに「彼女自身の心を守り(=他者と自分は別々なのだと理解し)、自我と主体性を以って選択すること」を教えなかった。闇雲に飛び、検証もせずに絶望という感情を基にした結論を下すのは科学でも研究でもなんでもない。ヘルメスのやっていたことは「とてもあたまのいいひとのじゆうけんきゅう」に過ぎない。
ヘルメスは、彼自身があんなに悩んでいたはずなのに、命の価値「について考える」機会をメーティオンに用意してやらなかった。実際に命に価値があるかどうかは別として、それぞれの答えを出すために、彼女自身にも考えさせるべきだったのだ。あんなに病んでやらかしてしまうぐらい悩むなら、いっそメーティオンといっしょに「いのちってなんだろうね」と頭をひねってもよかったはずだ。ここが問題の始まりだったと思う。メーティオンは人ではないが心があり、さらに意識を共有する姉妹がいる特殊な存在で、そしてなによりも幼かった。厳しい探査に臨むからこそ、情操教育をすべきであっただろう。
「濁った心があってもいい」とエルピスの花を通じて懸命に伝えた、あの地上のメーティオンの情操を親鳥たるヘルメスは大きく育ててやる義務があった。滅びを目にし、絶望を受け取ったとしても、それでも自分で聞いて、感じて、考えてやる心を育てる必要があった。その上でメーティオンが「もうやだ。飛びたくない帰る」とか、「いつか命ある星に出会えるかも! それまでのんびりやろーっと」と思えるならよかったのに。選択のへたな親から選択する方法を知らない子が生まれてしまった。自我が薄くて、心をつなぐ術だけを持っている彼女は己と他者の区別がつかなくなり「みんな絶望して苦しんだ。だから私も絶望して苦しい。だからほかのみんなも絶望して苦しむ。その前に終わらせよう」と考えた。この3つはイコールではないのにそれを理解する心の技術がメーティオンには生まれなかった。親が教えなかったからだよ。ヘルメスの責任は重い。
そもそも「生まれてこない方がよい」「次に死ぬのがよい」というのは神々の発想だ。
人間は「生まれ死んで(その旅の終わりには)答えを得る(ことができたらいいなと願う)」ものである以上、半出生主義のような考えは生命の本質に反している。たまにそういう考えをするものが存在するのはよい。わたし自身もそっち側の人間だが、それでも大多数の命には生まれてきてうれしいし生きていて楽しいと思ってほしい。苦しいことや辛いことがある事実と、生には意味がないという判断は連動する必然性がない。生命は災厄の中に残った希望を愛するものだ。イーアのように種全体が「終わってしまいたい」というような空気になってしまうのはいただけない。終わるにしてもその間にやりたいこと、やるべきことはあるはずだ。何かが遺せることがいちばん素晴らしいとは思うが、残らないから何もできない、もうしないという価値観は小さすぎる。いちばんになれないからもうやーめた、と何が違うのか。今この一瞬、ごはんがうまい、あの人が愛しい、見るもの聞くものが楽しく好ましいことは無価値な悪だというのか。
『Endwalker』ではそれぞれの意思が絡まりあい、複雑なストーリーが編まれていた。けれども大筋は
「わたしたちこれでいいの? 命に意味はあるの?」という問いに
「うるせえ! 今生きてるんだから死ぬまで生きろ!」と答えた話、だと思う。
ゼノぴとかの話を追加してそのうちnoteで公開します