金カム最終回、創作と現実の狭間は本当に難しい。ンンッ思いついたまんま書いて全然まとまってないので「おやまあ」「こういう人もいるのね」って、微笑みつつ読んでください!
最終回に関する「批判」、いろいろ読んだんですけど個人的にはどれも概ね正しいと思います。
「差別がなかったことになっている」って思うの分かるよ。展示会で、被差別少数民族と圧制側が並列で展示されてるグロテスクさとかもねえ~~。ンンン~~~~分かる。よっく分かるヨォ…。あの描き方はねぇ、なんか立派に北海道の半分くらいに異民族住んでそうだもんなぁ…
でも、じゃあ何もかも歴史通りに描いたら良かったのかな?
リパさんは同和政策をなされて杉元さんと引き離されて和人として生きることを強いられ、フチもキラウシさんも慣れない強制移住先で貧困と病苦の中で死に、偽アイヌ騒動の元気な女の人たち村(牛山さんはあそこに残った方が幸せだったと思う)も散り散りにさせられて。
いや、それくらいアイヌの受けた差別と過去に和人が敷いた政策がひどかった、ってことなんですけどね。
キラウシさんが海外に飛んで楽しくやってたの、実は一番、「優しい嘘だった」と思うよ。
「杉元とリパさんが一緒にいて良かった!」「杉リパの関係性に関しては良かった」「相棒のまんまで行く末を曖昧にしてくれて良かった」
という意見、よく見ます。むろん私もそうですけど。
歴史通りに描写したら、あの二人は北海道であのままで居られないと思う。同和政策を強いてくる政府にゲリラ戦で徹底抗戦するとか、二人手に手を取って国外に逃げるか、リパさんが杉元さんのお嫁さんになって和人になるとか。
そしてまあ、同胞が虐げられているのを放置して逃げるリパさんではないと思うので、結局ジャンヌダルクエンドになるしかないんじゃないのかな…杉元さんが一番忌避したかったそれが実は一番現実的なんだよね、歴史を鑑みると。
そして過去にはあの権利書は存在しないので、ジャンヌダルクよりもよっぽど酷い展開になると思います。
ふたりの行く末を、曖昧かつ「光あるもの」にするなら、ああいう描き方しかなかったと私は感じる。
杉元さんとリパさんにそのままあのまま彼等でいて欲しいなら、苛烈な現実と乖離しなくちゃならないんだろうなあって感じた。
だから杉元さんとリパさんのエンドを称賛するなら、「もっと現実に沿ったものにせよ!」って怒るのは、あれっそっちもダメになるけどいいんですかね…??などと感じる。
先生はインタビューと図録で、「横綱相撲にしたい」と仰っていた。王道、みんなが楽しく「ああ読んで良かった」で終われるお話。
そして物語の終わりを「めでたしめでたし」にしたい気持ち、私達すごく良く知っている。
それは二次創作ですよ。
野田先生がご自身で作った架空のお話の中でくらいは、恰好よくて大好きなアイヌを幸せにしたかったんじゃないかな~って感じる。
土方歳三に関してもずっと俺の考えた最強の土方歳三!だった。
それをアイヌでやるぜ!俺のアイヌの二次創作!ってところから、実はそもそも金カムは始まってたのかもしれないね。
うーん、あまりに史実に沿い過ぎちゃったよね。
もううちょっと所々で現実と乖離させといたらよかったのかな~って思う。
埒外の変態とされていた網走囚人たちにもたくさん元ネタがいてさ。毎週毎週読者のみんなで、武器とか地名とか史実とか一所懸命に調べて。アイヌの言葉とかも検索したりしてさ。最後の晩餐フューチャーの、あの横長絵とかもね…。
なにせ土方歳三と永倉さんが出てるんだもの。そして切り裂きジャックとか石川啄木とかさ。
細々した取材と精密な作画が売りで、武器だって実際のものを手に入れて描いて。アイヌの美しい衣装も精緻に描いて。私たちが知らなかった樺太の異民族まで描いて。
そしてその集大成が「展覧会」だ!!!ってドドーンとお出しされてさ。
ただ、ここまで史実を誠実に積み重ねてきた漫画が、最後の最後だけついた「ひとつまみの優しい嘘」が、そんなにまで糾弾されるのも、なんかちょっと違うなって思う。思ってる。
どなた様かのツイで見た
「フェミニスト(を自称する女性たち)が常に正しくある事を望まれてるのに似てる」
っての、凄く似てると思う。
うーんまとめきれん。読んでくれてありがとう。悪いけど正論のこん棒で殴りかかってくるのはやめてくれよな!!!!ここまで読んでくれた人はしないと思うが!