「I」 3陣が終わった時と同じこといってるけど、
これはすべての通過者に言いたいこと
できれば見て欲しい 「I」の通過者へ
Iは愛のシナリオだと勝手に思っているその理由は、
KPにもPLにも負担がめっちゃある大変すぎるシナリオですが、どのHOに対してもNPCたちは「愛している」という思いを抱いています。
誰よりも何よりも、貴方たちを愛している。
友愛としての愛。
恋人としての愛。
きょうだいとしての愛。
家族としての愛。様々な愛の形を書きたくて、この物語を書きました。
だから、どのNPCをやるときも各HOたちへの想いが深すぎて大変でした。RPをしていると頭の中で彼らが言うんです。「愛してる、愛してる、どうか幸せになって」て。PLとPCの乖離が起こることは多々ありますが、KPとNPCの乖離が起こることは稀です。だってまぁひどいことしてるのKP(作者)なんでね!ガハハ!
とはいえ、このシナリオのテーマは「理不尽」ですから。世の中にありふれた理不尽たちにのまれた探索者たちが、最後どんな選択をするのか私は見たかったんです。
「生と死」を扱うならば、そこに「愛」を組み込ませる必要があるなぁと、ふと思い立ちました。だから、NPCたちは探索者たちを「絶対的に愛する」存在として只管に接する。様々な想いを超えて、人は何を選ぶのだろう?「理不尽」なことに対して、私は当事者意識をもって、考えて欲しかった。
HO1は、幼なじみたちが貴方に「友愛」を向ける。大切な人が大切な人たちを殺す地獄絵図。罪悪感に苛まれ、苦しみぬいた縁は、最後自殺を図ろうとするものの失敗。しかし、同じく宇宙からの色によって生命力を奪われつつあるHO1を見て、己の全てを捧げるからHO1を生かして欲しいと願い、悪魔に魂を売った。
縁は、罪悪感でHO1を生かせた訳ではなく、多分──本当にただ生きて欲しかっただけなんだと思います。どんな形でもいいから、生きて欲しかった。それだけです。
HO2は、貴方に「恋の愛」を向ける存在として、恋人がいる。己の体を奪われた恋人は、貴方の目の前で裏切り行為をし、そのまま自殺を図る。貴方は恋人の遺体からうじがわくさまをみる。裏切られたということも忘れて、ずっとずっと恋人を愛し続ける。
何も知らないまま真実が少しづつ明らかになっていくさまは、辛い、辛い、ただひたすらにつらい。クローン「れい」の存在はもしもラストシーンでクローン技術を遺すことを選んだ場合、こんなことになる可能性もあるんだよ、という象徴にするつもりで作りました。君たちが選んだら、こんな未来も待ってるんだよ、という意味を込めて。なにもしらないクローン「れい」は、HO2を無条件に愛し続ける。思慕にも近い、純粋な気持ちで貴方を求め続ける。クローン「れい」が求めていることはただひとつ「HO2にずっとずっと笑っていてほしい!」それだけなんです。
けれどHO2は最後の最後で自分が愛されていた事実を知る。事実だけが、そこにある。それでも何も思い出せないHO2。
では、果たして、ここでHO2は「真実」をもとめるのだろうか?そう、疑問に思いながら書いたことをよく覚えています。
クローン技術を破壊した場合のみ、クローン「れい」の身体はボロボロと崩れ、蝶々になって空へと登っていく。澄み切った青い空に、いのちの欠片が風に吹かれて舞う。
私は、HO2「愛」は、「I」の象徴的なHOだと思ってます。
HO3は、姉からの「きょうだい愛」を受ける。ひたすらに、ただひたすらに愛し続けた姉の愛。辛い過去を乗り越えて、やっとのことで幸せを掴んだ姉に不幸が訪れる。辛い目に遭いながらも、自分のことなど何一つ顧みず、桜子は貴方に願う。「しあわせにいきて」と。桜子を描写する時に気をつけていたのはいい意味で人間らしくない子にしようということ。自分ではなく、貴方を、HO3の幸せをなによりも願う子にしよう、と。結局桜子にとって1番大切なことは、自分ではなく貴方が笑っていることだったのだと、リュウは最後に気付く。そして、今度は興味の矛先が貴方へとむく………というのが大体の流れです。
逢いたい人には、もう二度と逢えない。文字通り、本編中でも1度も逢えないこのHOは辛いと思います。
HO4は、家族からの「家族愛」を受ける。深く貴方を愛する両親、大切な弟。全てを持っていたはずの貴方が、突然理不尽に全てを奪われる。このHOは、私が1番描きたかった「理不尽」をなによりも表しています。私はHO4、まじで好きです。いや全部好きやけどな。
HO4の個別導入では家族と水族館に行って、楽しい一日を過ごします。「海」を命がめぐり巡る場所だとして、家族と過ごす。父親から「誇りに思ってるぞ」と背中を叩かれる。母親から「命とは、めぐり、巡るもの。人はきっといつか海に帰ってくる」と言われる。弟の一陽からは「とーさんとにーちゃんみたいになりたい!」と言われる。何の変哲もない一日はそうして終わりを迎える。
車の中での両親の会話が私は1番好きです。子供の未来を憂い、そして将来を期待するのは親の特権。こそばゆい気持ちになったときに、貴方に不幸が襲う。
交通事故。父親は即死。一陽の遺体も目の当たりにして、それでも辛うじて生きている母が貴方をなんとかして、生かそうとする。母親の無償の愛を、貴方は受けることになる。母は強し、とはよく言いますがね。
そうして貴方は全てを忘れる。自分に家族がいたことも、自分以外のことを全て。
HO4は一陽とドリームランドで毎度毎度過ごすことになります。一陽は自分が死んだことを一日目は覚えていないため、貴方と帰りたいと言います。けれどみなが現実に帰ってしまった後に自分だけ帰ることが出来ずに、貴方の体を抱きしめながら泣きます。「どうして?なんで俺は帰れないの?!」とリアに詰め寄り、ある程度の情報を教えてもらうのです。そこで一陽は全てを思い出します。自分が死んだこと、両親が既にこの世にいないこと。そして、HO4がまだなにも思い出せていないことを。
最後の最後で一陽は泣かずに貴方を送り出します。
「いのちとは、めぐりめぐるもの!だから、きっとまた会えるよね!」
生きていれば、どこかで貴方は家族の名残を感じるかもしれない。それをどう思うかは貴方次第です。ただ、どうか、幸せになって欲しいと心から思います。
マズローの欲求5段階説、これを参考にしながらも、私は人の欲望とは何かを考えていました。
まず人が求めるのは「生存欲求」でしょう。生きたい、から始まって、人はもっともっと欲深くなって行く。満たされても満たされても、人の欲望は尽きない。
ならば、生存欲求が脅かされたときに、人は自分の命ではなく大切な人を守るためにも行動するのだろうか?
人の根源は、どこまで覆されるのだろうか?そんなことを考えながら、このシナリオを書きました。私は昔から途方もなく人に対して興味を持っていました。
大体の人間は「生きたい」と願うはず。それが当たり前です。けれどきっと人は感情で動く生き物だから、それが覆されるのは「愛」が絡んだときに違いない。
動物の中で、自己犠牲を図るのは大抵は「遺伝子」を後世に続かせるための場合が多いのですが、人間はンなことは考えません。人間だけが、「愛」しているからという理由で自己犠牲をする。その行動こそ、私はひどく興味深いなと、羨ましいなと思いこのシナリオを書きました。
忘却は人間の救いである。けれど、人は忘れたくないと願う。それこそが、「I」の本質なのかもしれませんね。