#GOT S8について考えていた。最終的にデナーリスがあの最後を迎えねばならなかったのは、彼女はドスラクのカリーシであり奴隷たちのムサであったけれど『ウェスタロスの女王』にはなれなかったからという結論に達した
デナーリスはカールドロゴから引き継いだドスラクの民と、かつての彼女自身のように自由と尊厳を奪われていたアンサリードと奴隷たちのために戦い、彼らに愛され、彼女自身も彼らに慈しみを返した。一方、ウェスタロスとその民は、結局のところ『かつて一族から不当に奪われた玉座』の一部でしかなかった。最終章で見せた、キングスランディングへの無慈悲な攻撃は、彼女にとってそこに住む民は『鉄の玉座』の付属物にすぎなかったからだと思えば理解できる。『ゲームオブスローンズ(玉座のゲーム)』というこのドラマのタイトルを体現していたのは、リトル・フィンガーやヴァリスと言った知略を巡らす者たちでなく、軍事と財力で周囲を従えるラニスター家でもなく、ほかならぬ彼女自身だった。
その力と美貌と民を愛する意思ゆえに、彼女を『女王』とあがめた男たちは多かった。けれども、残念ながら彼女は真の意味での女王とはなりえなかった。彼女が愛せたのは、己の意識の届く範囲の『民』だけだった。そんな彼女の限界を最初に見抜いたのが、このドラマの途中から『民』の代弁者のような役割を果たしていたヴァリスだったというのはとても象徴的だ。
(ところでヴァリスは、このドラマの最初期から、自分は王でなく『国』のために働いているのだと名言しそのように行動している。だが、『密告者たちの元締めの宦官』である彼のその意志と果たす役割を理解した王は存在しなかった。ティリオンのみが彼を理解し、彼もティリオンを友と呼んだけれど、ロバートもジョフリーもサーセイも、そしてデナーリスさえ、便利に利用する彼の真意を知ろうとはしなかった。もしヴァリスが生きていて、ブラン王のもとで働くことができていたら、と思わずに居られない)
対照的にサンサは、地に足のついた己の努力で『北の女王』の地位を得た。
夢見がちな少女であった彼女は政争に巻き込まれて痛みと屈辱をなめながら何度も死地を潜り抜け、故郷を守る鉄の女になった。
彼女が最終章で北部の独立にこだわったのは、長い夏がついに終わりをむかえたこの時期に、『落とし子の戦い』とも呼ばれたボルトン戦、夜の王戦と、二度の大きな闘いの最前線に立ち、疲弊しきってしまった北部を立て直すためだった。
だが、彼女は甘い郷愁からこの主張を繰り返していたのではない。落とし子の闘いに勝利して捕らえた宿敵ラムジー・ボルトンを、彼の飼っていた犬たちに生きながら食わせるという凄惨な方法で殺した彼女には、愛も忠誠も飢餓の前には無力だということが分かりすぎるほどわかっていたからだ。
犬たちは、ラムジーが唯一『愛情』めいた感情をそそぐ存在だった。だが彼は同時に、その凶暴性と追跡能力を保つため、犬たちを常に空腹状態に置いていた。
長く飢餓状態に陥っていた犬たちは、椅子に縛り付けられ、無抵抗な『主人』ラムジーを前にした時、その『忠誠』を保つことはできなかった…。
デナーリスもまた、サンサと同じく虐げられた経験をもつ女性だ。だが、理想主義的な性格であった上に、ドラゴンという圧倒的な力の象徴を手に入れてしまった彼女には、等身大の『民』というものが理解できなくなってしまっていたのだろう。彼らもまた意志を持ち、己の欲望のために必死にもがく存在だということを。
そして彼女が、自分こそが民を導き、彼らに平和と安寧をもたらすことのできる存在であるという驕りにとりつかれてしまった時、『民』の代弁者であるヴァリスが王として選ぼうとした男ジョン・スノウは、彼女に引導を渡さざるをえなかったのだ。
さらっと書くつもりがなんかやたら力入ってしまった。