キラキラファントムストリーム、個人的にかなり辛い回になりました。自分用に好きだった部分と、ダメージを受けた部分をメモしておこうと思います。
↓以下追記にとっても長文
【良かった点】
①オムスビとトトにゃーチビ太を「キラキラしてる」というチョロ松
チョロ松がトト子ちゃんにゃーちゃんを推す心情が、可愛いアイドルさんが好き!以外に殆ど初めて語られました。
「キラキラしてる」、これはアイドルさんを推す気持ちとしては極めて純度の高いものではないでしょうか。地下アイドルのにゃーちゃんも、チョロ松以外に殆ど客のいないトト子ちゃんでさえ、アイドルに打ち込む姿は彼から見ればただただキラキラしてて、眩しくて、元気をもらえる存在なんですね。
舞台に立つオムスビトトにゃだけでなく、料理人のチビ太を輝いた存在として挙げたのも良かった。
オムスビ、トトニャ、チビ太にはそれぞれキラキラの影の苦労がカットインして、これはチョロ松がアイドルさんの明るい側面しか見えていないことの暗示かもしれませんが、それでも、頑張っている人を「キラキラしてる」と称えられるのは、チョロ松の素敵な素直さだと思います。彼は純粋ですね。
②十四松(保留組)が優しかった
優しかったというかもう、ほんとゴメンじゅっし!!!と平伏して謝りたいくらいです。ですが、様子がおかしい上に超絶迷惑なモードのチョロ松にずっと寄り添って、最後はしっかり叱ってくれて、十四松がいてくれて大分お話の印象がマイルドになったと思います。ありがとうありがとう。
良いタイミングで現れてオチをつけてくれたカラ松にも感謝です。ありがとうありがとう。
対話が途中からポカスカ殴り合いになるの「まぁな」と一緒だな…!?と思いましたが…気のせいですね。脚本家は男兄弟の雨降って地固まるはすべて殴り合いで済まそうとしてますか?…気のせいですね。
ラストの3人で金魚を飼うくだり、大好きです。
金魚にお名前はつけたんでしょうか? 末永く可愛がってほしいですね。松野家の居間には電灯から金魚がぶら下がっていますし、ペットにはぴったりです。
金魚にキラキラするのは気持ち悪くなんてないよ!ぶぁーーーーーか!!!!!!!!!!
【辛かった点】
①アイドルを推すことはキラキラしてませんか?
チョロ松は6つ子の中でも熱中してる趣味の多い松です。今回もアイドルさん、アニメ、マンガ、ラノベと指折り数えていました。アイドルさんは元より、ラノベを読んで号泣してる姿が2期「キャンペーン発動」でも描かれていましたね。
良かった点でも触れましたが、チョロ松が推しているアイドルさん二人は決して押しも押されもせぬビッグアイドルではありません。トト子ちゃんなんて、固定客はほぼチョロ松一人です。
その状態、いわば世評の後ろ盾からはファンが自己肯定感をもらえない存在を、熱心に追いかけられる時点で、相当熱中していると言えますし、その推し事を継続してるチョロ松は充分以上に「キラキラして」います。正直すごいです。
ですが、作中にそれを指摘する人はいませんし、チョロ松がなんにもやりたい事がない(と思っている)状態にしないとコントが始まらないので、チョロ松の口から「好きだけど、そこまでじゃない」という台詞を言わせる必要があった。この前フリは辛いな、と思いました。
②学習性無力感?
一番辛かったところです。
井の頭公園で十四松の堪忍袋の緒が切れ、不忍池にぶち込まれたチョロ松が這い上がってきたあとのセリフ。
「(やりたいことを)見つけたと思ったら幻で、やりたいことを自分から作ったら、そういうのは偽物だと言われる」
これ。
これが、もう、辛いなんてもんじゃなかった。
おそらく、作劇上は大した意図はなく、開き直ったチョロ松の怒涛の本音(一歩を踏み出せないクズあるある…)くらいのものなのでしょうが、よりによってチョロ松にこれを言わせるか…という。
1期の「手紙」はセンバツで幻に帰しましたし、2期の茶髪は彼的にはすごくアガってたのに客観的にはクソださかったことが仇になって元に戻り、高尾山では一生懸命作ったしおりは使い物にならず、せめてたどり着きたかった薬王院までも行けずに骨になる…。
これらの失敗に帰した事柄たちも、チョロ松にとっては「キラキラした、やりたかったこと」じゃなかったのかな…。
茶髪なんて憧れそのものでしたし、自立も寂しい反面いつかやらなければと思い定めていたことです。高尾山のしおりも兄弟で楽しく登山するために役立てたかったんでしょうね。ひいては自意識ライジングだって、「やろう!」と決意したその時点では、チョロ松の中ではキラキラしていたんだと思います。
でも、上手く行かないんですよね。
これってギャグアニメだから。
就職して終わっちゃっても困るし、茶髪似合ってるー!でも困るしね。
チョロ松は手に届かない憧れに手を伸ばしては、そのやり方の拙劣さや、自己客観視の下手くそさをカリカチュア化される松です。
そもそもこの笑いの得意分野がなかなかしんどい。
それでもチョロ松に救われるのは、それと同時に彼がタフで前向きで、彼自身を肯定しているから。くわえて、兄弟にも手を伸ばせる強さがあるから。
私はそんな彼に救われていましたし、そのキャラ造形が大好きです。
ですが、今回のセリフ……。チョロ松自身が度重なるしんどい状況に学習性無力感ともいうべき自己肯定感の欠如に苛まれ始めているのだとしたら……辛すぎます。
ギャグアニメのなかに生きている限り、チョロ松は憧れに向かってジャンプしてはみっともなく転げ続けなければならない構造なんですから。
それを笑うことは、とんでもなく残酷なことなのではないか? と思います。
キャラクターが嬲り殺しにされているような気がします。
キャラ個別の性格とかを考える以前に、構造が不利すぎる、最初から負け戦を見ている気持ち。不利な構造上にある人に行動できないクズ!とはどうしてもいえない…それが笑いどころだと分かっていても、私には無理です。
チョロ松が実際に行動を起こしたパターンを一切見ていなくて、このエピソードが一期にあったら、普通に笑えていたし、チョロ松このやろーwwwとだけ思えていたと思います。
③十四松に借りを返せるかな?
これは少々「おそ松さん」の作劇の癖の話になりますが、松ってキャラクターアニメと呼ぶには描写のバランスが下手ですよね。
今回チョロ松は十四松にとってもお世話になりました。てか、迷惑をかけました。
普通のアニメなら、その分だけしっかり謝ったりお礼をしたり、他の場面で今度はチョロ松が十四松を助けたり…とフォローになるエピソードが入りますが………
まぁ、あんま期待できない…じゅっし、永遠にごめんなさい、君の優しさに救われた…ごめんなさい…のきもち。
④キラキラファントムストリームという名付け行為
これはチョロ松のキャラクターとは関係なく、キッツイなーと思った点です。
今回、「キラキラした人を見て、自分もなにかやらなきゃいけないと焦る心境」を「キラキラファントムストリーム」と呼ぶ名付け行為が行われましたが、2021年にもなって、人を突き動かす心情に名前をつけてあるあるに落とし込む笑いはちょっとどうなんでしょうね。
そりゃあ確かによくある現象ですし、舞い上がってみたものの、なんにもモノにならずに学習アプリがスマホのなかにあるだけ…なんてのは凡人には耳の痛い話なんですけどね。
でも、なにかからポジティブな影響を受けて、心が騒ぐそれ自体は個人個人千差万別の得難いものですし、そうやって行動を起こしてきた人たちの築いた道があるから、なんとなくぼんやり生きていられるんだよな…凡人と偉人を予め区別して、凡人の心は「ファントム」だと笑ってたら、2021年の惨状が悪化するだけなんじゃないかな。
そこを笑いにしちゃうの、特に今は笑えないセンスだな…「冷笑」と紙一重だな、と思いました。
2015年なら気にもしなかったかも。でも今、冷笑はダサいです。
自分のために感情を棚卸ししてたらものすごく長くなりました。ここまで読んでくださった方、もしいたらありがとうございます。