⚠️山姥切国広単独行-日本刀史- ネタバレ
劇中で出てきた歴史上の出来事と人物
簡単なまとめ
※諸説あります
※簡略化する際、説明を省いたり分かりやすい物言いに変えたりしてます。歴史改変の意図はございません
※歴史は諸説あります
※経緯はかなり簡略化しています。簡略化に伴い説明を省いたり分かりやすい物言いに変えたりしてますが歴史改変の意図はございません
※配信後急いでまとめたので後で追記・修正する可能性があります
凡例:【時代】
●山姥切国広が思いを馳せた人物
◎劇中の主な登場人物
○その時代に生まれた主な刀剣
【神代之時代】
●建速須佐之男命
(たけはやすさのをのみこと)
◎アシナヅチ、テナヅチ、クシナダ、八岐大蛇
○天叢雲剣(草薙剣)
主な出来事:八岐大蛇退治
アシナヅチとテナヅチの8人の娘が毎年八岐大蛇の生贄として食われ、唯一残った末娘であるクシナダも食われようとしていた。スサノヲはクシナダとの結婚を条件に八岐大蛇退治を申し出る。
スサノヲは八岐大蛇を酒で酔わせ、酩酊している隙をついて八岐大蛇を退治した。その際八つの尾の内の一つが輝き、そこから一振の刀が出てくる。それが天叢雲剣(別名:草薙剣)、三種の神器の内の一つ。
(尚、大侵寇の時に話題に上がった「八雲立つ〜」はスサノヲが呼んだ歌から出雲を表す枕詞となった)
【飛鳥時代】
●厩戸皇子(聖徳太子)
◎物部守矢、蘇我馬子、額田部皇女(推古天皇)、蘇我入鹿
○七星剣
主な出来事:丁未の乱、乙巳の変
丁未の乱とは仏教排斥派の物部氏vs仏教を推し進めたい蘇我氏(厩戸皇子もこちら側)の有力豪族同士の権力争い。
当初は物部氏有利であったが、物部守矢が迹見赤檮に矢で射られて亡くなって以来、物部氏は衰退し蘇我氏が勢力をつける。(単独行では迹見赤檮に矢で射られるのではなく、代役として厩戸皇子(山姥切国広)が斬った)
崇峻天皇は権力をつける蘇我氏をよく思っておらず、後に蘇我馬子の計略により暗殺される。蘇我馬子は額田部皇女を次代の天皇として押し上げ、史上初の女性天皇である推古天皇が即位した。厩戸皇子は皇太子として推古天皇を支え、冠位十二階の制定、十七条の憲法、仏教の浸透など多くの功績を残した。
単独行劇中で厩戸皇子(山姥切国広)が言っていた「和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤ふること無きを宗とせよ」は十七条の憲法の第一文。
【平安時代】
●三条小鍛冶宗近
◎ 橘道成、稲荷大明神(ふくのすけ)
○小狐丸、岩融、今剣、石切丸、小烏丸、獅子王、鶴丸国永、大包平、鶯丸、大典太光世など
平安時代は三条宗近、五条国永をはじめ多くの刀工が生まれた時代。
特に三条宗近の逸話として有名なのが「小鍛冶」
小鍛冶の簡単なあらすじは下記の通り。
→夢で童子よりお告げを受けた一条天皇が橘道成を通して三条宗近に作刀を依頼。
ただ、三条宗近は自分と同等の力量を持った相槌を打てるものが居ないため、天皇に献上できるような素晴らしい刀を作れないと悩んでいた。三条宗近が悩み稲荷大明神に参拝したところ童子が現れ日本武尊と天叢雲剣の逸話などを語り、宗近を励まして姿を消した。
(単独行では童子の代わりにふくのすけ)
三条宗近が作刀の決意をし、鍛冶場に戻ったところ稲荷大明神の化身が現れ相槌を打ってくれ、無事に刀が完成した。この時、三条宗近は刀の表に「小鍛冶宗近」裏に「小狐」という2つの銘を打ち、小狐丸が出来上がった。
【鎌倉時代】
●北条政子
◎北条義時、御家人など
○鬼丸国綱、数珠丸恒次、古今伝授の太刀、一期一振、平野藤四郎、厚藤四郎、後藤藤四郎、骨喰藤四郎、信濃藤四郎、前田藤四郎、秋田藤四郎、博多藤四郎、包丁藤四郎、鯰尾藤四郎、乱藤四郎、毛利藤四郎、薬研藤四郎、五虎退、鳴狐、愛染国俊、明石国行、大般若長光、日光一文字、山鳥毛、燭台切光忠、小豆長光、謙信景光、小竜景光、南泉一文字、日向正宗、不動行光、篭手切江、にっかり青江など
主な出来事:承久の乱
皇族の権力回復を企む後鳥羽上皇と武家中心の鎌倉幕府間の対立が深まり、後鳥羽上皇は挙兵を行った。(承久の乱)
上皇が挙兵したとなると朝敵となってしまうため幕府側に激震が走ったが、尼将軍である北条政子は集めた御家人に対して「頼朝公の御恩は、山よりも高く、海よりも深い。逆臣の讒言により不義の綸旨が下された。逆臣である藤原秀康、三浦胤義を討って三代将軍実朝の遺志を全うせよ。ただし、院に参じたい者は直ちに申し出て参じるがよい」と演説し、御家人達を奮い立たせた。
当初幕府側では陣を構えて上皇軍を迎え撃とうとする保守的な意見が多かったが、出撃して京都に進軍する案を大江広元が進言し出陣が行われた。
(単独行では大江広元の代わりに北条政子(山姥切国広)が進軍を提言)
後に幕府軍は19万にも膨れ上がった。
【南北朝時代】
●畠山義就(はたけやまよしひろ)
◎足利義政、山名宗全(赤入道)
○ 亀甲貞宗、物吉貞宗、太鼓鐘貞宗、宗三左文字、江雪左文字、小夜左文字、大倶利伽羅、へし切長谷部、山姥切長義など
【室町時代】
○日本号、太郎太刀、次郎太刀、千代金丸、歌仙兼定、蜻蛉切など
主な出来事:御霊合戦(上御霊神社の戦い)
御霊合戦とは応仁の乱の契機となり、畠山義就軍と畠山政長軍が衝突した戦い。
室町幕府を支えた三管領家(細川氏、斯波氏、畠山氏)の一端を担う畠山氏のお家騒動が発端となった。
畠山氏の先代が実弟ではなく庶子の畠山義就を後継に指名し、畠山義就が家を次ぐも、その従兄弟である政長が家督を奪いお家分裂。家督を奪われたあとも義就は抵抗し、政長と再び戦闘になった。畠山のお家騒動であるものの、政長側を支持する細川勝元、細川勝元と意を反する山名宗全(赤入道)が義就側に付くなど、政権問題や将軍後継問題なども絡まり事態は複雑化。これを契機に10年以上に渡る戦いが始まった。
畠山義就(山姥切国広)が単独行で「子に修羅とでも名付けましょうか」と言う台詞があったが、畠山義就には実際に「修羅」という名の子がいる。
また劇中にあった通り、足利義政によって収集された品を東山御物といい、現代にまで残っている東山御物の多くが国宝や重文に指定されている名品ばかり。ただ、応仁の乱など後の戦乱の最中に散逸し、残らなかったものも多い。
【戦国時代】
●明智光秀
○御手杵、山伏国広、山姥切国広
主な出来事:本能寺の変、山崎の戦いなど
明智光秀は信長の腹心であったが、後に本能寺にて謀反を起こした人物。本能寺の変にて信長を死に追いやるも、十数日後に山崎の戦いにて秀吉に討ち取られる
とても有名なので詳細割愛します。
【江戸時代】
●石出帯刀吉深(いしでたてわきよしふか)
○堀川国広、蜂須賀虎徹、浦島虎徹、源清麿、陸奥守吉行、和泉守兼定など
主な出来事:明暦の大火
江戸時代は多くの刀が打たれたが、大火により多くの刀が失われた時代でもある。明暦の大火、明和の大火、文化の大火は特に大きく江戸の三代大火とも呼ばれる(大火には諸説)
大火にて多くの刀剣が焼け落ちたが、宗三左文字や骨喰藤四郎など再刃されて歴史を繋いだ刀もある。
石出帯刀吉深は牢屋奉行を務めており、明暦の大火の際に罪人の命を守るため、「火が鎮まった際には浅草に参集するように」と告げ、罪人たちを解放した。
鎮火後、罪人たちは逃げずに約束通り参集。石出帯刀吉深はその罪人たちの様子を評価し、幕府に対して罪人たちの減刑を嘆願した。幕府はこれを受け全員の減刑を実行。この後、石出帯刀吉深が起こした行動は「切り放ち」と称され、牢屋で火事があった際には数日後に戻るという約束の元解放されることが慣例化し、明治時代の監獄法や現在の刑事収容施設法にまで意志が継がれている。
【明治時代】
●桐野利秋(きりのとしあき)
◎西郷隆盛
主な出来事:西南戦争
桐野利秋は当初中村半次郎と名乗っていた。
示現流の名手であり、西郷隆盛の意志を継いで勤王志士として活躍し「人斬り半次郎」とも呼ばれる。
明治時代にて陸軍少将にまで上り詰めるも西南戦争で額を打ち抜かれて戦死。
単独行劇中で愛刀(短刀)の名は伝西蓮とされていた。