「願いの始まり」の書き下ろしも含めたゆかくらの話。
「なんでも手に入る人間には、この世全てが所有物に見える」という貴子さんの戒めは、確かに昏見に響いているのだけど、所有物の正しい在り方を定めることは許されるのかとも思う。
所縁も昏見も才ある人間としての傲慢さがあると思っていて、それは人のあり方を自ら定義するところだと思うんですよね。
多分祈りではなく、本当にカミが叶えうるものとして「殺人のない世界」というものを突きつけられた時に、私はその傲慢さに直面していると思っていて、所縁はそれでもその道を選ぶし、昏見は私の愛した名探偵はそうでないと否定するわけです。でも所縁が選んだ道自体は、いつか昏見が怪盗を選んだのと同じことなんですよね。
おそらくは道理や論理をよく理解している昏見が初めてそれを手放して盗もうとしているのが所縁の本願なのが私はめちゃくちゃ好きで、昏見有貴が初めて自分のために盗むと決めたものこそが、ある意味世界そのものの所有の否定になるのかもなぁなどと。(まとまってない)
昏見って大抵の人間に負けないだけの才があるけど、それは所縁も同じことで、だからこそこの2人の勝負はどうなるかわからないし、昏見が手に入れられるかどうかもなんもわからんのが面白いな…と思ってます。しかもこれ作者の中にはある…かもしれないけど、もしかしたら舞奏競の勝敗次第にもよるなら作者にもまだわからない(決まってない)んですよね…