『クボ〜』ラストで記憶喪失になった月の帝に村人が嘘の物語を教える場面に引っかかってる人がいるけど、あそこで重要なのは「嘘の」という部分ではなく、初めて彼に「物語」が与えられたということだと思う
月の帝は身体を持たず、「永遠」で「完璧」な存在であったけども、それゆえに「物語」を見つめる目を必要としなかった。しかし、クボや彼の両親が選んだのは、たとえ死すべき運命を背負うことになっても、「この世」にしっかりと根を張り、そこでしか見つめることのできない喜びや愛の物語を見つめ、生きていくことだったのだ。ここに不完全なものを尊ぶわびさびの心がある。
「この世」にある喜びや愛の物語は、永遠の命よりも遥かに尊い。不完全で死すべき運命を背負う我々は、物語を語り継ぐことで、その不完全性や死の運命を克服できるのだ。だからこそ、月の帝は敗北し、地上に落とされ、目が見えるようになる。記憶がないのは、それまで彼に物語が無かったからだ。しかし、目の見える今なら、そばにクボという「語り継ぐ者」がいる今なら、彼にもここから物語を紡ぐことができる。村人が彼に与えた物語は、そんな「願い」なのだ。物語は虚構であるが、必ず現実に繋がっている。その表裏一体の性質がここに表れている。