SSF05新刊『CO:IN EADEM ES NAVI』解説
本誌は『モノラル・ダイアローグス』を受け、SHHisがどのようにすれば良好な関係のユニットになることができるのかという課題に対して一つの答えを出すことを目的として描かれました。そこで重要な意味を持つのが、しばしば描かれる緋田美琴の自信の欠如という問題です。彼女はオーディション前に不安そうな表情をし、「ちゃんと評価されると良いな……やってきたこと」と言うことさえあります。これは、自身の表現の受け取り手に自分の表現が届いている感覚がなかったことを示していると考えます。自分に自信がなく自分のことである意味手一杯なのに、彼女はにちかのことを見てやることができるのか。SHHisの関係の問題を解決する糸口が緋田美琴の自信という部分にあると考え、そこにコミットするのが本誌です。
1. 自信
それでは、緋田美琴に自信を持たせるにはどのような手段があるのか。彼女はパフォーマンスで人を感動させることを望んでいます。したがって、今度は彼女の表現を受け取った観客の言葉を緋田美琴が受け取らなければならないと考え、握手会や手紙を作中で用いることになりました。プロデューサーの「そこにいるお客さんのことが『お客さん』に見えているなら 俺は少し寂しいと思うんだ」というセリフは、次のような意味です。観客の規模が大きくなればなるほど、その観客一人ひとりが個別の存在であることが無視されて「観客という総体」になる。そのような認識の上では、それぞれの観客にそれぞれの感覚や感性、感情や生活があることが意識されない。このことは、観客にとってみれば寂しいことなのかもしれない。だから一度、もし観客に響く表現がしたいなら一人ひとりの観客と向き合う機会が必要なのではないか。このように考え、SHHisのファンの言葉を何度も描きました。美琴のセリフで何度か「この手紙を書いてくれたのはただのファンじゃない」という認識が示されますが、これは最初の時点では手紙を書いてくれたのが「あの場所であの舞台を見てくれた」ファンであることが意識されています。しかし、ファンレターを読んで「それぞれがそれぞれの感覚を持っている」という視点に移行しています。なお、ドラマや映画ではなく舞台を採用したのは、舞台が上映される場所「劇場 theater」の語源が「見ること」を意味する「テオリア theoria」から派生した語であり見るための場所を意味する「テアトロン theatron」であり、視線や目に重要な意味を見出す本作に相応しいと考えたためです。
2. 食
本誌にはレモンのモチーフや料理のシーンが多く登場します。これは『OO-ct. ──ノー・カラット』で描かれていた、水(美琴)と食べ物(にちか)という対比の構造、およびその中間地点としてのレモンを継承する形となっています。また、レモンについては聖母マリアのモチーフであり、また緋田美琴の誕生日9/8もまた聖母マリアの誕生日です。ここから、レモンには二人の中継点以上の意味合いを投影していますし、さらに後述するようにもう一つの意味をも持たせています。
本誌で食べ物を登場させたのは、緋田美琴も人間であり何かを食べなければいけないということを強調するためです。彼女は神聖な存在として描かれている節があり、それについて私が以前『モノラル・ダイアローグス』を読んだあと開催した座談会の記録を引用します。「美琴に着目してシナリオを読むと、人間性の回復のための物語という印象がある。人間性の回復の物語であるということは、人間性が今欠落しているということである。にちかから美琴への眼差しは神聖視のニュアンスがある。報酬カード【あっかい】ではにちかが美琴に対して「天使の彫刻のような指が血が通っているみたいに動く」という表現をしている。天使というワードは明確に聖性をもつ言葉であるし、美琴は生物であり動くことはごく自然なはずなのに「血が通っているみたいに」という言葉が当てられている。また、美琴には身体的快楽・身体的欲求についての描写が乏しく、水やゼリーなど味気ない飲食物が美琴には付随している。一方でルカには買い出しのシーンや「ナポリタン」、にちかにはごはん当番というようにごく一般的な食事を連想させる表現がなされている。これら二つの点から、美琴に聖性が付与されていると見ることが出来る」。以上のような観点から、しっかり味のある食事はSHHisの物語において人間性の比喩であろうと思われます。したがって、にちかがナポリタンを作りプロデューサーはそれを見てナポリタンを作りますし、人間である緋田美琴はプロデューサーが作ると言ったのを受けて自分もやってみようという発言をします。にちかが出演した配信ではパスタが吹きこぼれそうになりますが、これに気付くにちかは料理に慣れていると同時に一定程度の「広い視野」を持っていることを表現しています(恥ずかしながら私はしばしば麵を茹でるとき吹きこぼれてしまいます)。この「人間性の回復=ルネサンス」というテーマは次節で再び言及します。
さて、レモンについてもう一度言及します。レモンは二人の中継点であり聖母マリアのモチーフです。そしてもう一つの意味は、上述した食事を超える人間性の結晶のシンボルとなります。人間はビタミンCが著しく欠如すると壊血病となり死に至ります。そのため人間にはビタミンCという栄養が不可欠であり、それを最も満たしてくれる食べ物の一つがレモンである、ということです。したがって、レモンは作中に頻繫に登場し、最後には「美琴の隣に立つのが自分で良かったのか」と疑い続けるにちかに対して美琴がレモンを与えることになります(この描写は『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』のオマージュになります)。
3. 宗教的モチーフ
作中には宗教に関連するモチーフやシンボルが多く登場します。十字架はもちろんイエスの死を連想させ、これはアイドルという理想に殉教せんとするSHHisの二人を意識したものです。ヘビ(にちか)とフクロウ(美琴)というシンボルは、二人のカードの演出で描かれたものですが、ヘビは人間に知恵(の実)を与えた存在でありフクロウは知性の象徴、すなわち両者ともに知恵や知性のシンボルと見ることができます。また、30ページ下部には半円が3つ組み合わされた図形がありますが、これはトリケトラと呼ばれるケルトのシンボルの一つで、永遠や循環を意味しています。62ページのゴシック様式の大聖堂は、先述した聖母マリアのモチーフとして採用しました。ゴシック建築が見られるようになった13,14世紀にはマリア信仰がヨーロッパで広がりを見せ、フランスの有名なゴシック様式の多くの大聖堂には「ノートルダム=我らの貴婦人=マリア」の名がつけられています。そのゴシック様式の次に来る建築は15世紀に始まるルネサンス様式です。先に述べた、人間性の回復というテーマは古代ギリシア・ローマ時代を人間性の称揚の時代として評価し、その古典の復活を志向したルネサンスの精神性と重なるものであります。したがって、緋田美琴はゴシック様式の大聖堂の前に一人で立ちながらも背後の視線に気付き背を向ける表現や、古代ギリシアの作品であるアイスキュロス『縛られたプロメテウス』を引用することにも思想的な意味があります。