FGO 2部6章後編アヴァロン・ル・フェ 考察でも何でもない全体的な個人の所感。長い。
思えばアヴァロン・ル・フェ(楽園の妖精)という主題、そして冒頭の森で妖精たちの「善性」と種としての「本能」が縮図として常に提示されていた
とにかく登場する者すべてと言っていいほどそれぞれに業が深すぎる。
建前と本音、嘘と真実、善と悪、生と死、対局の事象がこれ以上ないほど張り巡らされやがて容赦なく読み手(マスター)の前にぶちまけられる。
人間の善悪では計れない妖精の性(さが)が前提であるから、余計に「どうして」という思いと共に「どうしようもない」という絶望。
トネリコがモルガンになるまでの過程を、たった一巡しただけでもこれだけ見せつけられたのだ。
モルガンとなったトネリコの絶望、次代の救世主として自らの使命と求められるものの不条理を幼いときから知っていたキャスター・アルトリア。
過酷な犠牲の上に人理を修復し、5つの異聞帯を切除し身も心もすり切れて、それでもまだ立上がろうとする藤丸を描かれてなお、失意の庭をたった一度抜け出した程度でわかりっこない、と言われても仕方ないほどそれは残酷な生だった。
テーマ、モチーフのひとつに取り替え(チェンジリング)
善性とは、何をもって善悪と成すのか
他にもおそらくあると思うけど、高次元な話の中に織り込まれた原初的な感情、「愛」について、が印象的だった。
愛には様々なかたちがあり、またかたちのないものも愛なのだと、失うときに慟哭と共に思い知る残酷さ
敬愛、恋情、愛情、友愛、そしてそれらの愛とはまた異なる「慈しみ」
己が心臓が燃える苦しみ、その炎で灼け死ぬほどの愛を向けている相手から自分にも確かに注がれているはず、と信じていたものが愛ではなく、ただの慈しみからくる慈愛、親愛であると知ったときの絶望。(もしくは「それ」が何かに利用される為のものであったと知ったとき)
読了して思えば、あの妖精騎士ランスロットの慟哭は、「掬い上げ愛と名前をくれた人」の本心を知ってしまったからなのだろう。
だから、妖精騎士の着名を受けたのも「ランスロット」でいられるから。本来美しかったあの人がくれた「メリュジーヌ」としてではなく。
そのランスロット…メリュジーヌが「愛したうつくしいものが、その形を失っていく」決定的なあの瞬間を、どんな気持ちで聞いていたのか。
そして、その彼女自身も、自分に片恋をするパーシヴァルを「深く愛している」と言ってしまえる残酷さを持っているのが皮肉であり、切ない。
(※これは考察ではなく想像でしかないけど、「考えるだけで体が溶けてしまいそう」「私の翅、まだ輝いているかしら?」と言った彼女―
物語の最後の最後でかつて救世主であった者を言葉だけで決定的に魔女としたオーロラそのひとが、何かの理由で(若さ、寿命、美しさなど)を保つ我欲の為に、アルビオンの残した「力」を「メリュジーヌ」として最初から利用するつもりで湖から掬い上げたのだとしたら……最後のあの「裏切り」も頷ける。一番うつくしいはずの存在が一番醜いものになり果てるチェンジリング)
(もしくは、話が逸れるが、ちらほら見るのはオーロラこそがケルヌンノスの巫女、6の氏族の元になった人間であるとする説。ケルヌンノスを復活させ、ブリテンを終わらせる為にメリュジーヌの力と愛情を利用し、周りを欺き、新たに星を誕生させるため? そして別の説として、トネリコが身代わりにして処刑された妖精の次代であるという説も、「魔女にされた」復讐として見れば納得できる。これもまた不幸な取り替え、チェンジリングでもある)
オベロンが自身を物語が生んだ存在だと認めたように、6章では常にどこか「物語」として話が語られていたように思う。
ベースになっているのが後に語られるであろう「物語」
そしてそこに登場する妖精と人間を中心に進められる物語は、オベロンがいることで夏の夜の夢のような喜劇/悲劇の戯曲のように、一貫して「物語」ですよ、と示されてきた 一方その頃、を語る語り部の存在然り、愚かさを例えて説く童話のごとき展開と、突然の「おしまい」
悪い魔女は退治されました、おしまいおしまい。
最後に、めでたい戴冠式をみんなで行いましょう、というのが8/4に公開されるクエスト、ストーリーだと思うのだが、ここで思い出すのは冒頭から何度も挿入されてきたエインセルの予言の唄。
「血染めの冠、おひとつどうぞ」(ここで単なるハッピーエンドではない、とはじめから示唆されてきた)
そしていったん回収された章タイトル、「アヴァロン・ル・フェ(楽園の妖精)」
思えば最初から、読み手の前にはこの残酷な(いったんの)結末、妖精たちの業というものは常に提示されてきたんだなと思う。エインセルも嫌な含みをもたせたものだ、とハベトロットもこぼすくらい。
コーンウォールの森での出来事がすべての縮図としてこの物語で起きることを示していた。妖精は純粋無垢であるがゆえに、己の悪性には無自覚なのだと。
なのに、物語後編で突きつけられるまで、「なんとなく」薄っすらと感じていたものがはっきりと形を成した瞬間、ガーンと頭を殴られたような衝撃で突然の終幕を告げられた、観客として。
オベロンの言葉を借りるならば、読み手は傍観者である。
今回、マスター(藤丸立香)として選択肢だけで関わるのみならず、はっきりと「演者、登場人物」として描かれているのが、物語として6章を綴っている意図なのだとしたら。
ボーダーに残ったカルデアの面々がここまでほとんど重要な役割を担っていないのも、あくまでここではまだ「傍観者」でしかないからだとしたら。
だから、「何もできない傍観者」としてより深く抉られるし、突きつけられる真実は残酷さを増している。モルガン・アルトリアのみならず、失意の庭で藤丸に浴びせられる言葉は、そのまま読み手にも深く突き刺さる。読み手自身が「藤丸(マスター)」としてその痛みを追体験してきたと思っていたのが、そんな気持ちはまるで甘かったのだ、とここぞとばかりに見せつけられた。選択肢すら与えられない傍観者として。
たまたま書き方を変えた試験的試みではなく、6章全体を物語として描くことに徹底しての明確な意図だとしたら、まんまとはめられたことになる。
少なくとも自分はそうだった。
このまま終わるわけがない、と信じているマスターとしての自分と、徹底して傍観者であり何もできず見届けることしかできない自分とがせめぎあって、良かった/良くない、快/不快の一側面だけで測れない、どうしようもない感情が交錯している。
ブリテンの妖精國を巡る物語として一度幕を閉じるとしても、カルデア含む舞台外の人物も含めて「物語の続き」をコンティニュー、あるいはリセット、を行うことは可能だと思う。
例えば(レイシフトあるいはキャストリア/モルガンの意志と何らかの手段によって)「もう一度」はじまりと巡礼の旅をする。
今の救世主であるキャスター・アルトリアと共に。
前の救世主であるモルガン(トネリコ)の救いの為にも。
未だ回収されていない伏線やあれこれが、どうかわずかでも救いの光になるよう願いつつ、ひとまずのおしまい、を8/4に見届けたい。
オベロンの印象的な場面に、
「物語について」語る言葉がある。
物語を愛する者は、逃避ではなく、今の生を愛し大切に思うからこそ見る「もしも(if)」の夢、ということ。
その希望のもしも、が語られるよう。
そして失意の庭で藤丸(マスター)を再び立ち上がらせる「医者」として登場したロマニの言葉、種全体でいえば、善とは生き続けること。妖精國の在り方に近い気もする。
けれど、「人の生は続けたい気持ちと終了したい気持ちで常に変動するということ。
ゲームオーバーは悪ではない。」
「物語は必ず終わるもの、それを否定したら生命は立ち行かない、受け入れる準備は必要だ」と。
そして、「どんなに勝ち続けた者もいつかは終わる側」となる。
しかしそれでは何を目指せばいいのかわからない。ならば、「ゲーム終了(オーバー)じゃなくてゲーム完了(セット)」を目指せばいい。
「もうやり残しはない、と心から言える人生を」「それが種全体じゃなく個人にとっての善だとボクは信じている」
この言葉を彼が言うことの重みと暖かさにこそ、藤丸は「なぜ」に対する「意味」を見出し、何度でも立上がろうとするのかもしれない。
人のために最善を尽くしてもそれが報われるとは限らず、むしろ危険視され裏切られ葬られる側になることもある。
アーチャー・エミヤがこの異聞帯にいたら、キャストリアの気持ちに寄り添えるのかもしれない(代わりに、村正がいることの意味に想いを馳せずにいられない)
Fateシリーズで何度も描かれてきた、人の善性を巡る運命の皮肉さ。
何が正しく何が悪であるのか。
命題の本当の答えは少なくともエミヤはUBWという物語の最後に得たのだと私は思っている。
グランドオーダーのその先に、いつか藤丸(マスター)もまた長い旅の答えを得ることができたなら。そのときは「もういいよ、大丈夫。ゆっくり休んで大丈夫だから」と言ってあげたい。
そして今、妖精という種、人間という種を超えて、ひとまずのゲーム終了(オーバー)の後に、さらなるゲーム完了(セット)が用意されていると信じたい。
本当の結末までを見届けたなら、今度はその「物語」を伝えていくのが傍観者として託された唯一の役目なのかもしれない。
前編後編通しての細かい感想や引っかかった点、登場者の気持ちや背景、ストーリーなど思ったこと全てに触れられなかったので、それはまたポツポツと記せたら。
◆追記:エインセルの予言の唄の最後、オベロンは嫌な含みだと指摘した「予言の子は元いた場所に戻される」というのが、実は希望的な意味である可能性
キャストリアの宝具の本当の意味・まだ実装されていないオベロンが「人類の脅威特効の付与」を持つ理由も、まだ明かされていない。
ここでは言及しないけれど、他にも回収されていない謎や伏線がたくさんある。
◆追記の追記:
なぜキリシュタリアがブリテンを危険視したのか。なのになぜよりによって(故郷だからというだけで)あのベリルに任せたのか。ケルヌンノスとは、ヴォーティガーンは、6の始祖となった巫女の正体、巫女は妖精に何をされてどうなったのか、最初の森で出逢った少女は誰だったのか、3妖精騎士はそれぞれどうなるのか救いはあるのか(特にバーヴァン・シーの運命は)パーシヴァルの容姿変化は何を意味するのか(聖槍ロンギヌスの真の役割)スプリガン改めナカムラ某は今後まだ絡んでいくのか?ハベトロットはまだ大事な役割がありそう、オベロンの真の姿、役割は?この世界でティターニアに会えるのか?アヴァロンとは何なのか、そこから救世主を送り続けるのは誰なのか(マーリン?)楽園の妖精とは、その本当の使命(=予言の子としてブリテンを救う、以外に?)とは具体的に何なのか?
世界の崩落は止められるのか?
イギリス・アイルランドの神話体系や伝承には明るくないので考察はできないけど、想像はしてもしても尽きない。全てがここですっきり終わることが理想だけど、一部は今後へ引き継がれるのかもしれない。
「おしまい、おしまい。」のそのあと、「魔女こそほんとうは救世主だったのです」という、童話やおとぎ話によくある追加の結末、を待つことにします。