AVENGERS:ENDGAME ヒロイズムとフェミニズム? アイアンマン3のことを思い出したのですが、あの作品でも女性の学者が殺されていたなと。
アイアンマン3公開当時、そこまでする(殺してしまう)必要があるか...?と引っかかったことを思い出した。
今回のエンドゲームにしても、サノスに殺されたガモーラにしても、
女性キャラクターの扱いが安易すぎやしないか。
まるで、女性が「誰かの所有物」としてしか存在できず、
何か、誰かの「犠牲」になることが、女性の属性だとでも言いたいのかと疑ってしまう。
自立、独立した女性を描かず、どこまでも「男性の所有物」としてしか描けないというのは、
女性に自立も独立もしてほしくないという、ただの男性のわがまま、依存心では?と。
シリーズに出てくるカップルがすべて「男女」の組み合わせなのも、
これだけキャラクターが多いのに、かなり違和感がある。
(27日付で投稿したfusetterにも、セクシュアルマイノリティのことについて書いた。)
女性が脚本に参加していたら、多少は違っていたのだろうか。
キャプテンマーベルが「お前(男性)に認めてもらう必要などない」と言い放った直後だっただけに、ショックが大きい。
ありえないとはわかっていつつ、最後に、石を戻しに行ったスティーブが、
その世界では生きているはずのナターシャを連れてきてくれないかとさえ願ってしまった。
わからない。石を戻しに行った世界でも、彼はナターシャともまた会って、友情を築いたのかもしれないけれど。
しかし、「愛する者を失わないと手に入らない石」だったっけ。
なんだよ、そのロジックもへったくれもない設定は。石のくせに。
本当はガモーラもナターシャも死んでないんじゃないですか。
実は別次元のシャワルマあたりにワープして慰労会開催中、ご飯食べてるんじゃないんですか。そうなんだろ。
そこはこう...ほら...なんとかインチキできんのか!?(突然の大泉洋)
何の話だった。もはやわからない。
あなたのことを尊敬している。信頼している。
もしもあなたが間違ったり、自分自身を大事にしなかったら、全力でサンドイッチで頭を殴ってやる。
そういう関係をもっと見たいと願っているので、
シリーズを通して、ナターシャとスティーブ、クリントとの、ロマンスではない、かつ対等な信頼関係の描き方が好きだった。
男女の恋愛の駒などではないナターシャ、ブラックウィドウのことが大好きなので、
あんまりにもあんまりだったぜ...
三千年の眠りにつきたい...