ヰ書バレ未通過× 自探索者後日談
三津橋椿のけじめみたいなもの。一発で書いたのでちょっとアレですが、お納めいただければ。
通過された方でフォロワーさんならログもお渡しできますので、よろしくどうぞ。
――呟きは虚空に。誰に聴き取られることも無く、煤と一緒に宙へと広がっていった。
男は徐にライターを取り出すと、一枚の紙に火を付けた――。
*
……自分は、上手くやっている。そう、男は思う。友人もそれなりに多く、仕事もそつなくこなしている。
趣味も健全なものであるし、今まで命の危険に晒されることはあったが、切り抜けて来れる程度のものだった。
だから今回も上手くいくのだ、と思っていた。だが、事は男の思うようには運ばなかった。
少し考えてみれば当然のことなのだが、その時はどうにも、考えが及ばなかったのである。
男――三津橋椿は、やるせなさを胸に、鬱屈した気持ちを隠すことも無く車を走らせていた。
都心から約2時間。人気の無い森の中を暫く行くと、その家はあの日と同じようにひっそりと佇んでいる。
沈黙の森。無言の家。
三津橋は車を降りると、普段よりもより丁寧に扉を閉めた。そこで、車の窓に映る自分の顔から、笑顔が消えかけていることに気が付く。
……焦ることはない、家は逃げやしないのだから。意識して、深呼吸を一度。
誰に見せるでもない笑顔を一つ繕うと、車の鍵を閉めて家へ近づく。
(焦り、驚き、悲しみ。そう言った感情は、なるべく隠しておきなさい。)
そう椿に教えたのは、母ではなく父であった。父はいつも優しく椿に接してくれたが、何かを教えてくれたのは数えるほどだった。
だからこそ、その言いつけは心に留めるべきなのだ、と強く思ったのを覚えている。
世渡りには大分有用だったが、それが不気味だと伝えてくる者も居た。その度、椿は困ったように笑う他無かったのだが。
彼の目に、家の全貌が映る。手入れのされていない庭に残るのは、先日紙束を燃やした跡。
目的地はそこだったが、三津橋はそちらに足を向けず、家の入口へと歩みを進める。
購入したばかりの皮のキーケースからこの家の鍵を探し当て、差し込む。カチャリ、と小さな音を立て、家は男を招き入れた。
鍵は、先日かけた時と同様、閉まっている。それだけなのに、何だか閉めたのはとても昔のような感じもして、妙に胸がざわつく気もした。
今日は、背後に庇うべき相手はいない。西洋式の家だ、靴は脱がずに土足で入っていく。
「お邪魔します」
誰にでもない挨拶。他人の領域に土足で上がり込むのだから、最低限の礼儀は必要だろう、と三津橋は思う。
先日と違い、誰も、中に居ないはずだからこそ。
そのまま、光の差し込まない廊下をスマートフォンのライトで照らして、手前の扉から開けて中に入る。
(……一葉さんは、どういう気持ちで研究を続けていたんでしょうか)
一つ一つの部屋を、以前見回った通りに確認していく。荒っぽく侵入された痕跡は、勿論無い。
あの時に見た足跡も、割れた骨董品も、……流しの吐しゃ物も、残されてはいない。
当然といえば、当然だ。そうでなければ、自分は今頃――。
――吹き抜けに出る。床に敷かれたマットに触れてから、天井を見上げる。
途端、嫌悪感で何かがこみ上げそうになる。起きたことは事実なのだと、自身に警鐘を鳴らすかのように。
ここで、自分は最期を迎えたのだ。一度。
口元をハンカチで押さえると、ふらつく足取りをそのままに階段を上がる。
彼がここに居たら心配してくれただろうな、と思いながら。
自分は、自ら傷口を開いて楽しむようなマゾヒストでは無い。だからこれも自分にとっては、無意味な自傷行為では無い。
ここで起きた事を書き残す気には、どうしてもなれなかった。文字に起こしてしまう事で、奴らは何かを嗅ぎつけるのでは無いか――という、薄ぼんやりした理由もあるけれど。
何より、それが友人の意思に背く事になるのではないか、と思ったからだ。
だからせめて、自分の記憶にだけはしっかり留めておこうと思った。だから、ここに来た。
最後に、記憶をなぞりなおす為に。
廊下を進んで、右手のドアに手をかける。
書斎だ。あの日、本当に全てを燃やしてしまったから、ここには何も残されていない。
ただ、机の引き出しの仕掛けは既に暴かれた後。そのまま放置しておいたため、板が机の上に置きっぱなしだった。
(ああ、この辺りは少しわくわくしたものです)
置かれた板をなぞりながら、昔に読んだ漫画を思い出しかけて、やめた。
それより、あの時の彼の様子を思い返す方が重要だったから。
最初から、彼は何か考え込んでいると思っていた。
画像の件で連絡してきた時の慌てようも、三津橋の状態に気が付いてからも、ここでの反応も、何もかも引っかかっていた。
けれど、三津橋は言及しなかった。勿論、彼が何を考えているのかなんて、三津橋には知る由もない。
結局何が起ころうと、自分で解決出来るのなら出来るし、出来なければそれまでだと割り切っているのもある。
三津橋は言ってしまえば、自分を薄情な男だと評価しているのだ。
それが正当な評価なのかは、他人に委ねられるところではあるが。
そうして、書斎を出る。正面にある扉を開けて中に入ると、生活感のないベッドが一つ。それを脇目に、室内のもう一つの扉の鍵を指し、回す。
扉は呆れるほどに簡単に開いた。
目前に、空っぽの棚が一つ。部屋の中ほどまで入って、入り口に相対する。
(……謎の男。初陽は、老師と呼んでいた)
薄れていく記憶に、あの時の空気や男の表情、そして背後に居た友人――梶井田初陽の言葉を刻んでいく。
彼が何を信仰し、何に足を踏み入れていたのか。三津橋は、それに気付くことが出来なかった。
自分は彼の表面だけを見ていたのだという、ほんの少しの悲しみもある。
それに、軽率にも親戚の忠告を無視して、友人に連絡をつけてしまった。
けれど、そう。彼は、少なくとも自分に"こちらに踏み込むな"と言ったのだ。
それだけで――ああ、やはりこの男は自分の知る梶井田初陽なのだ、と思わせてくれた。
少なくとも、三津橋椿にはそれで充分だった。
沈黙を纏った家を出る。
全てが終わった後。巻き戻った後。あの時、彼に言った言葉はどれも本心だ。
誰が悪いとは言えないけれど、少なくとも自分は、殺されて「はい、そうでしたか」と許せるほど善人ではない。許さない方が彼が救われる気がした、とも言えない。
ただ、その方がお互い納得して、また友人に戻れるだろうと考えただけだ。
勿論、今までの関係に戻れるわけはない。それを飲み込んだ上で、また友人をやっていけるだろう。そう思った。
今考えると自分を殴りたくなるほど、あまりに能天気な発想。死に戻ったにしても少しボケ過ぎでは、と自らを叱責したくもなるものなのだが。
結果、自分は友人と袂を分かつ事になった。その選択は自然なものだったし、三津橋もそれが当然の流れだ、と納得はした。
けれど、一言、自分にも言わせてほしかったなあなどと、思ってしまうのだった。
表は鬱蒼とした木々が木陰を作っているが、庭までは覆われていない。それが、物を燃やすには丁度良いように感じる。
先日の燃け跡に近づいて、三津橋は手紙を懐から取り出した。
それは一人の友人が、最初で最後に自分に向けて書いた、手紙。
途中のコンビニで購入したライターを、慣れない手つきだ、何度か擦って火を点ける。
……内容は、もう覚えた。
(初陽。君が不器用なように、)
そのまま、躊躇いなく火に翳す。三津橋の表情は、笑顔のまま――けれど、きっと彼ならどうしてそんな顔をするのかと、問いかけてくるだろう――。
「……僕も、大概不器用なんですよ」
――呟きは虚空に。誰に聴き取られることも無く、煤と一緒に宙へと広がっていった。
手紙が燃えきるまで、そう時間はかからない。
三津橋は燃え尽きた手紙を一瞥すると、二度と来ることの無いだろう家を背に、車を発進させる。
同じく、二度と再会することの無いだろう友人への、最後の思いを胸に。