映画刀剣乱舞ネタバレ感想。「信長は正しく死ななくてはならない」の意味について(※ラストまでの盛大なネタバレありますので要注意)
・刀剣乱舞は花丸1期のみ履修(活劇は個人的な体調不良が原因で途中で脱落・花丸2期は未履修)(花丸2期はネトフリでこれから見ようかなと思ってる)
・なのでざっくりした設定は知ってる。ソシャゲは未プレイ
・ピクシブで二次創作とかは読んでる
・「特撮」「ネオ時代劇」だと割り切るといいという評を見て見に行った
・漫画の実写化は地雷なので基本スルー(銀魂だけは見た)
やーとても面白かったです!見に行ってよかった!!
三日月宗近が最初から最後までイケメンでイケボイスで美しい立ち居振る舞い!!目と!耳が!幸せでした。
秀吉の狂気がすごい。道化の皮を一枚めくったら残忍で酷薄な本性が現れるっていうのが表情だけでわかる、役者さんすげえ。
信長の圧巻の魔王ぶりも凄かった…。
花丸1期も活劇でも二次創作でも、刀剣乱舞の設定を使って物語を紡ぐなら、書き手としては
「歴史改変を阻止するためにかつての主人を(人の姿を得た今なら助けられるのに)見殺しにしないといけないことへの男士の葛藤」っていうテーマに手をつけたいと思うだろうしそういう物語を紡ぐんでしょうが、小林靖子さん、それを「それは他のメディアで散々書かれてるので」ってばっさり切って捨てて、歴史を守るプロとして彼らを描きました、っていうのがまず凄えなと。何をどうしたら「主人への愛が人類愛に昇華して、男士が神になる過程」を描こうと思いつくのよこれ…。「歴史上の人物を殺さないといけないっていうのが面白いな」って、この脚本家さんの作品は私初体験なんですが(「どろろ」を視聴中ですがあれはまだ序盤で靖子節を最後まで食らってないので)巷で騒がれてる理由がわかりました。
これはひどい、すごく面白いけど、これはひどい。
「死に様まで含めてその人間の人生だ。だからそれを守りきる。たとえ本人がどう思おうとも」っていうのは、これね、完全に神様の視点なんですよ。
誕生から滅亡までのその人物のありようそのものが愛おしい、っていうやつ。
本人が生きたい、せっかくそのチャンスがとんでもない奇跡の果てに巡ってきたのにとあがいても、本人の、そこに血が通って存在している人間の気持ちには一切忖度せず「お前はその死に様まで含めてお前なのだ、私はその人生の終焉まで含めてお前という存在を愛しているのだ」という、生身の人間からは到底理解できない冷酷さでその人間の存在(この映画の場合は信長ですね)を肯定するっていう…これはもう「主人を慕う刀の愛」ではなくて「人類という儚い種族を愛する神の愛」なんですよね。
そして審神者が代替わりした後も未来を守るために歴史を守り続けなくてはいけない(おそらくあの幼い審神者が老いて力を失い、また審神者が代替わりしても)男士達は、その境地に達しないといけない。
三日月宗近が真に「神」になるまでの過程を描いた映画だったのかなあ、という印象です。
あとインタビューで小林さん「今回はそんなにひどくないですよ〜」みたいなことを言ってましたが、信長と三日月をものすごい痛めつけてますよね。だってこの映画で「正史」とされていた展開って、本能寺で死亡コースよりも信長には明らかにきついですよね!?
だって明智光秀に討たれて本能寺で死んでれば、信長は秀吉の裏切りを知らずに敦盛舞って死ねた訳ですよ。
で、三日月、最初は明らかにそのコースに信長を連れて行こうとしてる。
信長が本能寺で死んでも安土城で死んでも歴史的には大して変わらない。正史では森蘭丸が信長を逃してるけど映画では蘭丸がそこまでたどり着かずに死んでるのを三日月はわかっている。信長は本能寺から脱出できない(できたとしても、蘭丸はすでに死亡していて時間を稼げないので逃走中に討ち取られるのは目に見えてる)。
だったらここで死んだ方が信長の気持ち的には楽なはず→「あなた様はあなた様のなすべきことを〜」って遠回しに自害を促してる。
結局時間遡行軍が残っていて、信長は脱出に成功してしまうわけですが。
三日月は、帰還後の審神者の言でその目論見が外れたことを知る訳です。
自分の詰めの甘さで、ちょっと仏心を出して「信長を楽に死なせてやりたい」と思ったばっかりに、三日月本人が、「信長を正しく死なせないといけない」状況が綺麗に出来上がってしまう。
しかも時間遡行軍の裏をかかないといけないから、仲間にすらそのことを黙っていないといけなくなる。
鬼や。この脚本家、鬼や…。
これは直接信長と接したことのある長谷部達には無理ですよ…。
長谷部は明らかにまだ「死に様まで含めてその人の魂の在りようを愛している、だから正しく殺してやる」という「神」の域には達してない(主人が望むなら、で思考停止していて、まだ「神」というより「人に使われる刀」としての意識の方が強いですね)。本能寺から帰ってきた後精神的に来てる不動もまだ長谷部寄り。
薬研、日本号が長谷部よりちょっと神様寄りの考えになってきたかな(「かつての主人の死まで含めて守るべき歴史だと言われて腑に落ちた」という旨のことを発言しているあたりから推測)?という感じ。ただ、この二人もまだ今の主人の言うことなら、的な思想が完全には抜けていない。
山姥切はどうだろう…何周かすればわかるのかもしれませんけど、ちょっとこの1回の視聴では汲み取りきれなかったです。
多分薬研達と同じあたりか、彼らよりはもうちょっと三日月(ほぼ完全な神様になりつつある)寄りの立ち位置にいるのではないかなと思うんですけど。
信長視点に戻ります。
「時間遡行軍の手によって生き延びた信長が、安土城で秀吉の裏切りを知る」っていうのは、彼にとっては三日月が知っていた本来の正史の「身内の手によってなんとか落ち延びて安土城で秀吉の裏切りを知る」展開より絶対にきついです。
男士達が「本能寺で信長以外の死ぬべき人間は全員死んでる」って言ったってことは、本来の正史では信長に従って落ち延びていたはずの部下まで全員本能寺で死んでいるということ(少なくとも手紙を秀吉に出せる程度の手勢は信長と共に落ち延びていたはず)。
つまりですね。
「本来の正史」では信長の側には誰かが最後まで付き従ってくれてたはず、なんですよ。
自力で脱出して落ち延びてる。
だから、生き延びたことも間違いなく自分で掴み取った命運なんです。
その命運と、秀吉が裏切りを決断することを見抜けなかった命運がガチでぶつかったから、彼は安土城で秀吉のことを「命運を掠め取りおった」と笑って死んでいけるんですよ。
それが(信長視点では)、「神の手による奇跡」によって、ひょっこり生き延びてしまった。彼自身は何もしていないのに。
そして自分の周囲にいるのは、全員化け物になっちゃってる。
劇場版の最後の信長は、安土城では真に孤独なんですね。
秀吉に裏切られた失意と絶望の中、神に冷たく「それが正しいのだから死ね」と態度で示されて、孤独のままに死んでいかなくてはいけない。
それを受け入れられなかったからこそ、もしここで生き延びられて落ち延びたとしても、おそらくは明智光秀のようにむごたらしく、惨めに殺されるか行き倒れるしかないとわかっていても、信長は骨喰を人質に三日月を恫喝するというみっともない真似をせずにはいられなかった。
小さな仏心を出したばっかりに信長の生き様を汚すような事態を招いてしまった三日月が、責任を持って、正史よりはるかに辛い思いをさせてしまった信長に最後に「お前の生き様を覚えていてやる、だからお前の在りようにふさわしい最後を選べ」と引導を渡してやるのがというか渡さざるをいけなくなったのが…もうね…もうね…脚本家鬼かよ…鬼だね…。
「お前らしい最期まで含めてお前を肯定してやる」という、神の愛な…。
しかもですよ、この脚本、その愛を三日月に「刀時代にはそこまで深い付き合いではなく、であるがゆえに他の刀よりは突き放すことも容易であっただろう信長」だけでなく、「それなりに付き合いも長く気心も知れている老審神者」にまで同等に注ぐように要求してる。
この三日月は恐らく老審神者に殉じるつもりだったんだろうなっていうのは、他の男士を本丸に送り返すつもりだったのに自分が回復薬持ってなかったことから明らかなんですよね。
ただ、老審神者視点だとそれは困る訳です。
まだ付喪神から神になりきれていない男士達が迷った時に導いてやる役目が三日月には残っている。
これから来る若く未熟な審神者を正しく導く役目も、「歴史の当事者からはどれだけ冷たく見えても、人という存在そのものを愛してやる」という神の視点を手に入れつつある三日月以上の適任はいない。
歴史を守ることで未来を守り続けるためには、どれだけ思い入れがあろうと、大きな歴史の流れの一つでしかないひとりの審神者ごときに殉じさせていい存在ではなくなってしまってるんですね、あの本丸の三日月は。
老審神者に殉じたい、というのは、おそらく三日月に残っていた、最後の「誰かに使われる刀である側の自意識」なんですよね。人間くさい部分というか。「それは許さんぞ、信長にそうしたように、個人的に関わりがあって思い入れがあり情も絆もある自分の生き様も最期まで肯定して、神として在り続けろ」と教える。
それが老審神者の主人としての最期の仕事で、三日月への最後の贈り物だった。
三日月はそれを正しく理解したから「俺も焼きが回った」とぼやいたのではないかなと。
最初から最後まで、徹底して「三日月が神になるまで」を描いた物語だったんだなあ〜それにしても脚本鬼だなあ〜なにをどうしたらこんな鬼脚本になるんだ〜と思いました。
あと、戦隊もののお約束ってこんな感じなんだな〜とか、日本号超ムードメーカー(長谷部とのやりとり最高)とか、鶯丸全然違和感ないな〜とか、ネオ時代劇としてこのジャンル確立しそうだな〜とか色々思いましたがとにかく三日月宗近に本当に神が憑依してんじゃないかな的な、いやもうほんと現実離れした美しさで110分目と耳が幸せでした。
あとふっくらした日本人形みたいな幼女審神者超かわいかったです。癒された。
あと、実際の歴史に介入してる感は、しっかり作られた実写が一番重みがありましたね。
信長と秀吉が、とにかくもう凄すぎました。
面白かったです。円盤買います。
※セリフはうろ覚えなので色々間違ってると思ってます。
※追記。
人として顕現した三日月宗近を目にしたことによって、信長は薬研藤四郎もおそらく同じように人として顕現することを知る、だから最後の最後に薬研に「頼むぞ」と言って切腹する。人ではないけれど、自分の最後に寄り添ってくれる存在は確かにあったっていう美しいオチもついてるわけで…。いや美しいけど…。
絶望と孤独の中に一滴だけ救いがある(付喪神の薬研もちゃんと思い出す)っていう…。ほんと、信長に対してドSが過ぎる…。