山羊歌最悪班について
時間ある時追記します
・アシュトン
やたら憎悪に振り切った感じになりました。本当にPCたちを殺したかったし、殺すことで自己の証明がしたかったのかなって思ってます。
二話時点では彼もPCたちと家族になりたかったようです。
この時の家族の解釈は「同じ苦しみを分かち合う存在(=同じカルトの実験を受ける」だったので、奇しくも三話終了でアーニーとフェリクスが定義した家族の解釈と被ってるんですよね。神妙なかおになってた。
でも、この解釈は精神が擦り切れた結果で、そういう意味ではずっとフェリクスとは『家族』になりたくなかったんだよなぁと、フェリクスがあの歳まで無傷だったのはアシュトンの差し金だと思うので。
家族になりたくなかった?不幸にするのが怖かった?そう考えると二話の逃亡時点で一度振られてることになりますね。
だいたい振られた逆恨み。
・対フィン
多分昔も今も真っ直ぐに嫌いです。うるさいくて愚直であんなことがあったのに変わらずキラキラしてるのが気に食わないし気持ち悪いって。この根元って精神的な強さへの嫉妬だと思います。対メアリへの気持ちにかなり近いものがあります。
・対アーニー
友達になれたんじゃないかなとKPは思ってる…。アシュトンに必要だったのはそのままのお前が好きだよって言ってくれる他者だったんじゃないかな、陳腐ですが。
あとは、まあ、フェリクスとフィン(=子供たち)の手を引いて連れ出したことへの憎悪が強いですね。正気だった頃の彼が一番したくてできなかったことなので。ライバルが近い気がします。勝たなければいけない相手で、相手もそうだろうと思ってたら、家族になりたいといわれて虚無ってしまいました。
・対フェリクス
幼少期、フェリクスを守ることで「幸せに生きる自分(=こうであったはずの自分」を投影していたようです。フェリクスが幸せならまだ、ぼくは大丈夫。確実にそれは支えになっていて、でも結局心は壊れてしまった。フェリクスは自分じゃないし、自分はもう幸せ(正気)になれない。なれないなら、フェリクスに一緒になってほしかった。フェリクスに振られたのはもう一つの自己、幸せのある未来、正気との断絶だったのかなあ。重ッ……。でも、振られなくても正気には戻れないんですが(幸せにはなれたか?)
多分、小さくなる背中を見ながら「フェリクスが死ななくて良かった」と心に浮かんだ瞬間決定的に精神が死んだんだと思います。
フェリクスは殺したかったし、この手で殺すべきだし、どこかで自分は殺してもいい、許される、とこの後に及んで考えてたみたい。自分は許さないって言ったのにね。でも、きっと殺せない(心情じゃなくて、運命的に)とも思ってたかも。
最後は「愛してくれ」って言いたくて言えなかった結果、ああなったんじゃないかな。「愛してる」じゃない気がする。フェリクスを愛しているのは彼にとってあまりに根幹の部分だったので。
・メアリ
メアリは普通の女の子なんだけど、生まれのせいで異常に精神構造が強くてある意味一番人間離れしてしまってます。
その断絶が一番濃く現れるのはアシュトンとだよね…家族になれなかった二人は仮初の兄弟になるんだけど、メアリはアシュトンと苦しみを分かち合いたくてもできなくて、どれだけ暴力を振るわれても傷つくことができなかった。正気のままの彼女の存在は逆にアシュトンを傷つける。ただアシュトンだけがボロボロになっていくことが、ひたすらに悲しかった。…そうです。
ここの二人の関係は前回全く考えなかったので楽しいです。まあ、本編で出す機会はなかったんですが…(そりゃない)