やっと気付いた リチャードの死に様をあの様にしたのは、バッキンガムと愛し合わせ最後にはその愛を裏切ることで絶望させたのは、人間は愛がなければ簡単に外道になる、つまりあなたもこうなるかもしれないよってことだったのか #リチャード三世
いろんな見方が、あると思いますけど。
私はずっと、プルカレーテさんの祖国がついこの間まで独裁政権下にあったこと、大統領チャウシェスクは国民からの搾取と己の贅沢を尽くしていたこと、チャウシェスクは革命軍の手で銃殺されたこと、プルカレーテさんはその時代に「リチャード三世」を上演したことがあること、が心に引っかかっていて。
なので今回のリチャード三世も、為政者への皮肉、一国の王だって所詮弱い一人の人間なんだ、って視線があって、ああいった演出になってるんだと思ってた。
それも間違いじゃないと思うけど、でももっと大切なのは、バッキンガムとの関係の改変によってリチャードの孤独を際立たせたことなんじゃないかと思って。
腹心の部下であったバッキンガムに裏切られるのも傷付くだろうけど、ずっと自分を愛してくれていたはずの男に裏切られるのは、もっと致命的な傷を負うはず。リチャードは親にも満足に愛された覚えがないようだから余計に。
その上、バッキンガムを殺したことでようやく、そこには確かに愛があったこと、その愛を裏切ったのは自分の方だということ、自分を愛してくれる人は二度と現れないということに気づく。
それってほんとうの絶望じゃないですか。
権力闘争によって孤独になるリチャードも哀しいけれど、自分の手で愛を裏切って、自ら孤独になるリチャードは、もっと惨めでつらい。
しかも、「王族だから(王だから)」孤独になったんじゃなく、「愛せなかったから」孤独になるというのなら、国も時代も身分もなく、誰にでも起こりうる出来事だし。
プルカレーテさんが皮肉と、そして同時に愛情を向けているのは、為政者であり、一般市民であり、つまりすべての「人間」なのか。
権力や身分は人間の肉体の一部じゃないから、ただの一市民が権力者になることだってあるし、権力者が何の力もない一市民になっちゃうことだってある。
権力者と市民は「別の生き物」ではない、おんなじただの人間だということ、どんな人間の中にもリチャードと同じ悲しみが生きているということ、誰でもリチャードになりうるということ。
王様の悲しみは王様だけのものではないんだ。
追記:バッキンガムはリチャードを「愛して」いたのか?
初めは、バッキンガムがリチャードとああいう関係になったのは、純粋にリチャードを愛しているからなんかじゃなく、権力欲しさや保身のためじゃないのかな?と思ったのですが…どうもこの『リチャード三世』ではそうじゃないように見える……。
原作(木下順二訳リチャード三世)にある、リチャードの「野心家のバッキンガムめ、用心深くなりおった」とか、「遠謀深慮で知恵の回るバッキンガムめ、もう心を打ち明ける仲ではなくなったな」とかのセリフが削られているので(バッキンガムの「王にしてやった返礼がこれか?」もない)バッキンガムが野心家キャラじゃなくなってるんですよね。
原作だとバッキンガムはリチャードを「利用」しているけれど、この舞台ではほとんど「無私の奉公」をしているような印象…。
バッキンガムがヘリフォードの伯爵領と動産を要求するのも、そのモノ自体が欲しいだけじゃなく、【あなたは私との約束を果たしてくれるのか】を聞きたかったのかなと思える。
リチャードが「王になったらくれてやる」と約束をした時、バッキンガムは「そのお約束、どうか公の手で果たされますよう」って言ってるんですよね。
そしていざ王になったらリチャードは「そんな気分ではない」とはねつけた。リチャードの方から約束を破ってる。
本当にあの時のリチャードは、人の話を聞く気分じゃなかっただけなのかもしれないけど、あれでバッキンガムとしては「裏切られた」と思ってしまったんだな……
https://fusetter.com/tw/kF56y でもぐだぐだ話しましたが、ミュージカルシーンでバッキンガムだけ笑っていないこと、踊るのがタンゴであることなどからしても、やっぱりバッキンガムはリチャードを「愛して」いたのかなぁ…という推測。
だとすると、鼻つまみ者のリチャードにそこまでの好意を持つって、バッキンガムあなた、過去に何があったのって感じですけど。
追記2:やっぱり「バッキンガムはリチャードを愛していた」確定でいいんじゃ…?
話の構造上、そうでないと困るのでは(メタ視点)
原作では忠実な臣下にすぎないバッキンガムを、わざわざリチャードと想い合う仲にしたのは、上にも書いた通りリチャードの絶望を際立たせるため、そして観客に「自分の身にも起こることかもしれない」と思わせるためだと思うのです…
地位なんて関係なく「リチャード個人」を愛してくれた相手を、自ら裏切る、っていう展開が必要だったとすれば、バッキンガムは真にリチャードを愛していたってことになるのでは。逆説的に考えて。
プルカレーテさんが描きたかったのはきっと“王座獲りゲーム”の話ではないんでしょうし…愛と孤独と人間についてとかそういう、とても内面的な、普遍性のあるテーマを描きたかったのだとすれば、そう考えるのが一番自然かな……?