#あるでちゃんへ
夏休みの宿題を提出します。
Feuille-Morte新譜『ファンタジア』の感想です。 #ふぉいもる
音楽が!歌が!弦が!物語で!演劇で!メタで!不可解で!カトカで!コリンスカー!文字数
書ききれないことを追記しましょう、とfusetterがおっしゃっておりますので書きます。
いつもの通り、ネタバレご注意を。
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1年前に頒布された『ゲキノウタ』より続編。
演劇をテーマにしたオリジナルファンタジーアルバム『ファンタジア』。
ボーカリスト(Starringなので正しくは演者か?)の方々から漂うアヴェンジャーズ感で既にやヴぁいわけですが、さらに大先生室屋ストリングスも参加されているというもはや世界を滅ぼしに行くのか?(大袈裟)という凄みがあります。
RDさんのツイートで室屋氏が参加されていると知ったときは己の目を疑いましたね。ゲームのサントラなどで室谷氏の名前を良く見ていただけにかなり驚きがありました。どうじんってすごいね・・。
今作は
「楽曲を聴くときはブックレット読みながらで、冊子を読むのは聴き終わってから」
というRDさんお墨付きの楽しみ方でいきました。
これ、『ファンタジア』の楽しみ方として、すっごく正しいと私も思います!
特に「ブックレット読みながら」というのが重要で、これをすると脳内で劇場が組みあがっていって、舞台の上に立つ役者がスポットライトで照らされ、観客に向けて手を振り舞い歌い・・・。
さながら脳内演劇場ができあがるわけですよ!
私の脳内では『Fantasia』という演劇を見た後、ファミレスで一服しながら冊子読みながら物思いにふけるイメージです!
ほんと、休日に時間をとってゆっくり聴くのがよさそうですよね今作・・・。
ということで、有給休暇を使って、今日はいっちょ演劇でも観に行くかなーって気分で聴き始めます。
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*.最後の犠牲者へ(Starring:めらみぽっぷ)
間奏に魂が持っていかれる!!!!!
ダークヒーローモノのオープニングっぽくて音楽的に好きですね。サビの最初で「ふぁんたーじあ おまえこそが」と呼びかけるように歌われているところがそれらしく思えます。
特設サイトにて「ファントマ」の名があったこともあり、私は『オペラ座の怪人』のイメージを想像していたのですが、やはりFullで聴くと、これは・・・。
楽曲最後のよわよわしい声を聴けば、おそらくジャケットの少女が声の持ち主なのだと。
紙に目をやれば、めらみぽっぷさんが演じるのは "Fantoma"、そして、Rovert Dawson。
燃えあがる手紙。
前作、『ゲキノウタ』。
緞帳が上がる前、私が視た幻想は ”呪い” なのかもしれません。
全て聴き終わった後にもう一度聴くことになる事を予感しつつ、血の染みた台本を手に取ります。
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序幕 怪人
Starring : めらみぽっぷ
さぁ緞帳が上がり、いよいよ開幕です。
演劇の開幕直後って独特の感覚がありますよね。
開演を告げるブザー音。それに続くように「バタンッ」と舞台のライトが演者を捉える。
観客の感情に働きかける大きな音です。
でもなぜか、私は感情がうまく切り替わらない。
目と耳は真剣に演者を捉えているのに、これから繰り広げられるドラマに浮き足立ってしまって目の前の舞台に集中できず、余計な胸の高鳴りが没入の邪魔をする。
しかし、暗闇を裂くように照らすスポットライトを観ていると、だんだんと感情が静まっていき、物語に入り込む準備が完了する。
この序幕は ”間の取り方” がとても良いですよね。
ファントマがしゃべる場面とそうでない場面にメリハリがあってセリフ一つ一つを飲み込みやすく、物語に没入していきやすいです。
また、めらみさんがゆったりとはっきりとファントマを演じられており、セリフが聴き取りやすく、観客に負担をかけないところも素晴らしいと思います。
私は心がざわざわしていたのですけども、この序幕のおかげで落ち着くことができました。
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第一幕 或る幸せの帰結
Starring:nayuta
ここから脳内劇場の舞台に色彩が付いて華やかになりました。
西洋のお屋敷を背景に部屋の中で椅子に腰掛けるお姫様が舞台に現れます。
ここで初めて「ブックレットを読みながら聴く事」の真髄が身を持って理解できた感じです。
脳内劇場でエレノア姫がうごくうごく!背景も照明もうごく!場面に合わせて「イッテコイ(舞台用語)」が発動する!本格開演!
音楽を聴いているとき脳内でPVが生成されることはありましたが、冒頭で申し上げた通り脳内で舞台が組み上がるのですよ!
常に目で字を追っていると脳が集中していく上に、ブックレットにイラストがない事で脳のリソース全てを脳内劇場に割けるので、イラストがない事がむしろ良い効果をもたらしているようにも思えますね。
ここで『ファンタジア』をおそろしいと感じましたね。はい。
この物語の主人公は父からこれでもかと寵愛を受けるエレノア姫様。
”押し付けられた幸せ”を窮屈そうに享受しており、いつまでも幸せな人形として見事なまでに人生の狭隘に囚われております。
彼女はファントマにとって救うべき者といえるでしょう。
(デーデデッ!)
「おっかざりひっめー」、「なっげきのかずっかず」といったnayutaさんの毒っ気のある演技からは諦念のようなものも感じられ、どこまでも幸せな彼女ですが哀れにも思えてしまいます。
”押し付けられた幸せ”が彼女の人格にどのように影響を及ぼしたのでしょう。
いや、彼女の人格は、語り手によって定められた”設定”とも言えるのか・・・?
かくしてファントマの手によってエレノアは人生の狭隘から開放されました。
そして、暗幕が降り幕間へ。
ふいに、スポットライトで照らされたのは暗幕の前に立つファントマ。
語るは救い出した者へのささやきか。
それとも、己を肯定するための言葉なのか・・・?
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第二幕 羊の夢
Starring:ランコ
次の幕が上がります。
舞台はのどかな牧場へと変貌し、背景は空の青と牧草の緑で彩られ自然豊かに。
おそらくこの第二幕が一番自然豊かな舞台かなと私は思っています。
牧場の柵にもたれている彼女はビアンカという羊飼い。
ビアンカは柵の外の遠い世界を夢見ていており、羊飼いとして暮らす事にウンザリしています。
柵の中に囚われた彼女はファントマが救い出す対象となるでしょう。
この幕では照明による夕暮れと夜の演出が脳内劇場で繰り広げられます。
最初はのどかでゆったりとしたムードなのですが、1サビ終わりのどこか哀愁ただよう弦の音が昼から夕暮れへと時間の推移を表現しているように思えてしまうのです。
私の脳内劇場での暗転の仕方は、「照明は琥珀色の夕日となった後、次第に夜へと暗闇へとフェードアウトしていく」といった感じです。
私が気になるのは怪人に詰め寄った後のビアンカの「ああ どっか どっか」の声色です。
どうも他のサビのものと少し違う感情が籠っている気がしていて。
うーん、なんだろう。
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第三幕 踊れオフィーリア
Starring:中恵光城
脳内劇場は薄暗い酒場へと組み替わっていきます。
思い浮かぶのは情熱的な紅の色。
舞台中央で男達の視線を浴びる踊り子の名はオフィーリアという。
彼女は踊る事以外の生き方を知らず、こうして幾夜も踊り続けている。
積みあがる金貨の意味さえも知らない彼女は幼い頃からこの酒場で働いているのだろうか?
”身なりのいい男” 。その身なりから察するに彼は酒場の儲けを私利として貪っている。
自由に踊ることができる場所へと彼女を救い出さなければならない。
脳内の舞台はとにかく紅いですね。
オフィーリアのドレスも紅色。
酒場のワインも紅色。
血の色も紅色。
夜明けの光も紅色。
眩しいほどに紅いです。
「貴方もきっと同じなの 生き方を選べはしないのね」
このオフィーリアのセリフは誰に向けられて発せられた発言なのでしょう。
思わず、ハッとします。
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第四幕 月だけが見ていた
Starring:葉月ゆら
しょっぱなからデーデデッ!
ちょっとオシャレに馴染んでるのがにくい。
舞台は月明かりが綺麗な夜の街の路地。
石畳の上で恋を語りながら踊るアメリ。
第四幕だけちょっと特殊です。
既に事が終わっており、もうアメリは救い出されています。
うーん、まだ恋には囚われたままのようにも見えるんですが・・・?
少し整理すると、
”倒れている男” にアメリは恋していたようだが、
「その咲く相手選べなくとも」
「いつかきっと沢山の恋を知りそれに生きたいと思っても」
というアメリのセリフから、
彼女にとって ”倒れている男” との関係は元々望んでいたわけではなく、本当はもっと沢山の恋を知りたかった、という事なのでしょう。
つまり、ファントマはアメリが沢山の恋できるようにと自由を叶えた、と・・・?
「男」を数人登場させ~、の演出が本当にありそうで笑えます。
眉目秀麗なイケメンから筋骨隆々なマッチョまでいろいろなタイプの男が登場していそうです。
あと、アメリの動きがたいへん可愛らしいです。
アクティブに動き回るその姿は解放のよろこびに満ち溢れていてこっちまで楽しくなってしまいます。
ファントマに解放される前のアメリはどんな感じだったんでしょうね?
やはりもっと暗い感じだったのかな・・・?想像力を掻き立てられます。
支離滅裂な言動・・・。
声を聞き取れなかったのか、声を書き留める気が起きなかったのか。
ここで劇作家ロベルト・ドーソンの姿が少し見えた気がします。
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第五幕 失われし氓
Starring:Φ串Φ
空気がガラリと変わります。
舞台は燃える太陽と一面の砂漠。
ローブを身に纏い、同じ方角へと歩み進める人々の列。
遙か伝え聞く詞に従って祈り続ける、とある一族の物語。
彼らは何世代にも渡り砂漠を彷徨い、最後の地を目指している。
物語の主人公はそんな一族の長の娘。名をサティという。
彼女は代々受け継がれてきた一族の罪と祈りに対して疑念を持ってしまう。
姿なき神に向かって叫ぶように祈りの意義を問うサティ。
そして、彼女の叫びが姿なき神に届いたかのように黒き影は現れた。
一族の長の命は失われ、その娘も一族の元を去ったわけですが、長なるものを失った大勢の一族はこれからどうなるのでしょう。
これからも永遠に砂漠を彷徨い続けるのか。
それとも彼ら一族にとっても開放となりえるのか。
野営地を振り返り、別れを告げたサティの意思は強いですね。
この世に産まれた時より浸かりきっていた ”文化” から抜け出ることは容易いことではありません。
私はそんな彼女をとても魅力的な人だと思います。
第五幕『失われし氓』は今作の中で音楽的に一番好きですね。
サビのリズムが心地よくて「いのりつづけるはうしなわれしたみ」のフレーズが耳に残ってしまっています。
また、『ファンタジア』全体に言えることですが、キャラクターと演者の声質に親和性があって、サティとΦ串Φさんの声質もばっちり合致していて素晴らしいキャスティングです。
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第六幕 分かたれた命
Starring:藍月なくる
初見でのインパクトがダントツでした。
舞台は小高い丘に教会の見える街。
そこに住まう双子、ルイーゼとロッテの物語です。
ルイーゼの人生は誰かの手によって意図して歪められたというわけでもないようで、ロッテや周囲の人物からもルイーゼをどうこうしようという明確な意思は感じられません。
なのに、どういう因果か、ルイーゼが手に入れられた筈のものはロッテのものになってしまう。
嗚呼、可哀想なルイーゼにゾクゾクしてしまいます。
そして何といっても!藍月なくるさんの演技!こわい!
単なる怒りでもなく、哀しみでもなく。
追い込まれたが末の漆黒の決意。爆発する感情。
最後の「ああ……」のつぶやきは抜け殻のように。
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終幕 ファントマ
Starring: めらみぽっぷ/nayuta/ランコ/中恵光城/葉月ゆら/Φ串Φ/藍月なくる
怪人の名をそのまま付けられた終幕。
ファントマは6人の女性たちを物語から解放したにも関わらず、彼女たちに新たな台本を与えるという。
「語り手によって生み出された者たちの中でもその人生を狭められ望まぬ役割を与えられている美しき者たちを解放する」という目的があって、ファントマは凶行を重ねていた筈。
ファントマの行動の矛盾、そのことを6人の女性に責められます。
物語のクライマックス。
追い詰められ「ああそうとも!」と言葉を捨て吐くファントマ。
己に矛盾があったとしても、怪人は美しきものたちへと手を差し伸べようとする。
長い沈黙の後、
声が聞こえた私は急に物語の世界から放り出されます。
その声を聞くうちに、
もう読んでも無駄だと悟った私は、
血の染みた台本を、そっと、置きます。
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◆◆◆
緞帳が下りた後、
まずは、気になっていた緞帳の裏にある何か。
これを開けます。
次に、前作『ゲキノウタ』。
散らかった部屋から探し出し手元に置く。
そして、準備が整ったので冊子を読み始めます。
劇作家カトカ・エリオ―シュ。
広告作家である父ミロスラフと思想が対立していた事。
脚本に登場する人物の人生を求める声が聞こえる事。
寡作で多くの作品は未完に終わっている事。
生前は名の知られた作家ではなかった事。
背後からナイフを突き立てられこの世を去った事。
その語られた事柄のひとつひとつが、
私の中に ”ロベルト・ドーソン” という人物像を明確に形作ります。
「生み出されていながらにして、その人生を歪められ、狭められた、数多の美しきものたちがいる」
「貴方もきっと同じなの 生き方を選べはしないのね」
「生み出されて消費される 語り手たち その意のままに」
「そう役割亡きものに 自由を選ぶことはできない」
「与えたこの役割をお前が求めずとも そしてどうか全てを」
思い出す。
物語られた言葉の数々。
カトカ・エリオ―シュの苦難。混迷。嘆き。
最後の犠牲者へと送られた言葉はもしかすると ”愛” だったんじゃないか・・・?
そして、もうひとつ思い出す。
『劇作家』の独白とひらめきを。
全てが。
ああ。
そうか。
この台本を綴っていたときのカトカはきっと。
このCDにはその聞こえたことの全てが。
そうだ、あの名前のない男の声もそうなのか。
そうなのか。
ああっ!!
数分間ほど「あー」「んー」と奇声を発しながら頭を抱えた私は、
なんとなくイルヴァ・コリンスカーの冊子に目をやる。
すると、こちらを見つめる幼きカトカ・エリオーシュが。
途端に、彼女の表情から得体のしれない恐怖を感じ、片手を伸ばし慌てて冊子を後ろにひっくり返す。
また、CDケースからも視線を感じ、何もない舞台を上側へと向けた。
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・
・
少し落ち着きまして、
「消費」というワード、オタクにとっては思うところがあるのでございます。
あるオタクにとっては耳が痛くなる言葉であったり、
あるオタクにとってはどうしても肯定できない言葉であったり、
あるいは、あるオタクにとっては無縁の言葉なのかもしれません。
物語の消費。
世界観の消費。
キャラクターの消費。
その時代背景に合わせてさまざまな消費論が真偽不明にして語られています。
物語の語り手たちが、
意のままに彼ら/彼女らを創りだし、
何も成せなかったものは駄作として打ち棄て、
多くを成したものは秀作として再利用し使い潰す。
それはある種の消費ビジネスとして。
けして、作り出されたものたちの声など・・・。
いやほんと、『ファンタジア』がメロンブックスに並ぶってスゲー恐ろしいことだと思いますね。
だって、あのカトカが見てるんですよ?
何食わぬ顔で店舗を訪れたオタクたちを。
物語を創り出し、そして消費するオタクたちを。
「闇を見張る その瞳の憐るく 誰も逃さず」
こちらを見つめるカトカの瞳に己の行いを自問自答する。
もうカトカの顔をまともに見られない・・・。
うん。
恐ろしい作品でした。
音楽も、歌も、演技も、キャスティングも、ストーリーテリングも、秀逸!
東方オタクに限らず、メロンブックスを訪れた諸兄姉にはぜひ手に取ってほしいと、心からそう思える作品です。
また、恐ろしいだけでなくて、妄想の中で繰り広げられる演劇も楽しい作品であります。
脳内劇場を精密に作り出すにはそれなりに幻想力(≒妄想力)が必要かと思いますが、カトカが綴る文章や役者さんたちの名演である程度補完されるのでたぶん大丈夫ですね。RDさんの作品を聴くにあたって幻想力が必要とされる場面もあるので、ある意味入門としていいのかも・・・?
そういう意味でも『ファンタジア』はRDさんのファンに限らずいろいろな人に聞いてほしい作品だと思います。
以上、妄想だらけのよく分からない感想でした!
あるでちゃん、こんな感想でごめんなさい!
なんといいますか。
ふぉいもる・・・こういう路線もあるのか・・・。
と、末恐ろしさを感じております。
次の作品、楽しみです・・・!