ゲット・アウト。いろんな見方ができておもしろいけれど、わたしはまず「目」についてのゴシックホラーと言えるかなと思った。
ポスターや予告からして主演ダニエル・カルーヤの涙を流す大きな瞳がフィーチャーされているし。目や見る力は元来権威や支配力の象徴であるけれども、さて人が世界を見るとき、それは誰の目を通して見ているのか?誰の目になろうとしているのか?
以下妄言ですが。クリスを乗っ取ろうとする盲目の画廊は「自分は他の白人連中と違って黒人にはこだわらない。ただその目で世界が見たい」と言うけれども、それこそ人種差別の根源的な意識構造であるような気がする。差別は(複数の要素が絡んでいるからこれだけとは言いません/言えませんが)雑にいうと、自分ではない他者のその他者性を意識するところから起こると思うのだけれど、他者は自分自身の写し鏡でもあって、自分の世界に対する見方、自己自身への眼差し、欲望、恐怖、あらゆるイメージが他者には落とし込まれている。そこで自己と他者の二者間に力の不均衡が起こるとき、力ある側が拡大した自己像=鏡像としての他者を取り込もうとする、その目にさえなろうとする、そしてそれが可能になる社会構造/システムができる、というのが無意識レベルの差別がとる究極的な形なのかなあ、なんてことをこの映画を見ていてつらつらと思った。
劇中、白人に意識と身体を乗っ取られた黒人は、目も見え、耳も聞こえているのに、暗闇に放り込まれて動けなくなり、自己統御ができなくなるけれど、そんな「自分はここにいるのに、まるでいないみたいな感覚」とか「私の目と身体で世界に触れているはずなのに、私のものじゃない感覚」は、差別される側が現実の世界で実際に体験しているもの。文学や映画などにおけるマイノリティ表象の少なさ・幅の狭さ、「黒人は身体能力が高い」といったラベリング、白人の黒い肌への妙な憧憬(白人が肌を黒く塗ってパフォーマンスするミンストレルショーなんかの説明にもなっているかんじで良い)といった形で、黒人はすでに十分白人社会の目でものを見、周縁化させられている。
結論が見えなくなってきましたが、、、つまりこんなかんじで「目」にフォーカスして自己と他者の意識の関係・はたらきに迫り、差別や恐怖がどんなふうに形作られるかをしっかりホラー味をつけて描いているということで、これはなかなかクラシックなアメリカンゴシックなんじゃないかなと思いました。