進撃の巨人最終回 139話
テーマ② エレンとは何だったのか。
※相変わらず言いたい放題なので読んだ人が不快になる可能性があります
当初、際立った才能はないけど目的意識は人一倍強いと評され、自由のために進撃し、父を脅迫し、兄を騙し、未来が見えながらも数多の仲間を犠牲にし、そうまでもしても!地ならしがしたかった、一番の自由を得たかった……という話なのだと思っていた。
それなのに、ミカサの選択に従う?最終的な目標は始祖ユミルの解放?
全く勘弁してほしいですね。最初の話はどこ行っちまったんだ。進撃するエレンはどこだよ、自由なエレンはよ!!!!!!!!幼い顔で自由に目を煌めかせる姿、背筋が凍るほどの無邪気な邪悪さにぞくぞくしたんだぞこっちは!!!!!!!!!!
ところでミカサを待ってたんならあのバックハグと直後の顔が描写され自我を取り戻したかに見えた始祖ユミルってマジで何だったんだよ。あの描写何?(後述します)
諫山先生のヒメアノ〜ル評が今回の結末にどう関係しているかはわからないがひょっとしたらヒントになるのかもしれない。そのブログに書かれていた問題意識とは、社会不適合者がどう生きていくか。先天的な社会不適合者はいったいどうしたらいいんだ、ということらしい。
そう、エレンは先天的に自由を求める人でした。進撃の巨人を継承する前から目的意識が強いと評されていた。自分の見据える方向にまっすぐ進んでいた。
彼が社会性があるかないかで言えば圧倒的にある方だと思うが(旧リヴァイ班とフツーに会話できてたし……ジャンと喧嘩していた姿を思えば協調性はもしかしたらやや欠けるかもしれないけど、自分が立体機動でぶら下がれなかったとき積極的に人に質問しに行ったり、ほんと社会性かなりある方だと思いますよエレン君は)、しかしその社会性は、自由を独り占めしたい、地ならししたい、その爽快感を味わいたいというエルヴィンも真っ青の激ヤバ欲望を胸に秘めた社会性だった。
エルヴィンはエルヴィンで自分の欲望のためにばかすか人を死なせているので(しかもそのことで責任感との間で揺れたりしている)ので、彼もなかなかにクレイジーだと思うが、エレンは欲望の方は激ヤバだが一応仲良したちの命は救っておきたいという謎の倫理観があった。
そう!!!!!ほんと謎。謎の倫理観。
自分の欲望のためにあらゆる手段を尽くす、他人の命など知ったことかという姿勢のほうが悪役としては理解できるのだ(エルヴィンは悪役ではないし、他人がついてくるほどのカリスマ性があったし、他人の命など知ったことかとまでは思っていないが)。
でもエレンにはビミョ〜に社会性がある。この人間くささと狂気の同居が議論を呼んでいる………ような気がする。
私はずーっとエレンはエゴイストだと思っている。地ならしをしてまで命を救ってほしいと104期たちは言っていない。でもエレンは「104期のみんなのために」やってしまうのだ。それが彼らが望んでいることだと思ってしまう。本気で。エゴだなあと思う。対話をしないのだから。対話をしないから、勢いでミカサを傷つけたり、アルミンをボコったりする。遠ざけることが互いのためだとかのたまう自分本位な、本当に私が嫌いな人間のタイプだ。あの幼馴染鼎談はハッキリ言って許されないと思う。
地ならしやりたい!という自らの欲求に彼が向き合ったかどうかさえ、私はちょっと怪しいと思っている。だって彼には社会性があるので。そりゃあ向き合えないでしょう、やりたいから虐殺するだなんて。妙なところで人間味があるのだから。
「地ならしはやってみたいけどどうやって104期の命を助けたらいいかな、そうかアイツらを英雄にしちゃえばいいや、オレを殺せば英雄になれる!」なんて計画的にはさらさら思っていない。彼はそんなにイカれてない。結構社会性があるので、虐殺が本気で104期のためになると思っている。
104期のために、島のみんなのために、虐殺をするからみんな死んでくれ、ああ、オレはなんて悪い奴なんだ、許されざる殺戮者だ!という嘆き、その良心の呵責がラムジーへの涙なのではないか。まったく醜い涙だと思う。しかしそれこそが彼の人間らしさなのである。
他人のためと言いつつ、勝手に他人の幸せを画定し、悲劇の殺戮者を演じつつ、そうやって悲劇の主人公ぶることで自分の欲望に向き合わずにいられたのではないかと思う。
いや、ひょっとしたら、「なんでかわかんねえけど…やりたかったんだ…どうしても」の言葉、そこまでやる必要あった?僕たちのため?というアルミンの言葉に答えなかったことからも分かるように、自身の欲望に気づいてはいるけれど、「でも104期のためにもなるのだから!」と必死に言い訳して自我を保っていたのではなかろうか。
社会性があるから悪役になりたくないのだ。いいやつだったと思われたい、等身大の人間でいたいのだ。だからお前らならば英雄になれる、オレは許されないから死ぬと、個人面談に回ったのだろう。エレンも生きる手段を探そうとアルミンに言われてさぞ嬉しかったことだろう。ミカサに想っていてほしいとアルミンに駄々をこねたのも、ミカサにもしかしたら言ってくれないかななんて思っていたかもしれない。さすがに穿った見方かな?わからないけど。
やりたいことをやっただけなら個人面談なんてする必要はない。命が本当にどうでもよくてただやりたかっただけなら踏み潰した爽快感で終われるはずだ。でもエレンはどうしたってみんなに忘れられたくなかったのである。いいやつだと思われたい。だからみんなに懺悔している姿を見せて回る。
ジャンがやめろ、もういいと言っているのに重ねてマルコのことを語り、殴られても謝るライナーみたいだ。あれは自分のために謝っていた。
エレンも同じだと思う。自分のために個人面談に回っただけだ。でもみんなはエレンのことが大好きなので律儀だと評する。律儀でもなんでもない、忘れられたくないだけだと私は思う。もちろんエレンは忘れられたくないだけだなんて思っていない。ジャンに謝ったライナーと同じく、その言葉はすべてエレンにとっては本気だ。忘れられたくないなんていうエゴではなくて、本気でみんなに説明して回ったと本人も思っているのだろう。端々に本音が出ていましたが。
そう思うと、ミカサの選択した結果のためというのも本当かどうかいよいよ怪しいという感じがする。ミカサの選択のためならば、自分の欲望はますます隠れることができるからだ。悪役を請け負い、悲劇的な殺戮者を演じたのもミカサの選択のため、自分はその道を進んだだけ。
まあ、さすがにそこが嘘ということはないだろうと私も思うけれど。というかそこは嘘であってほしくない。最後の最後にぶち込まれた設定なので。
まあいずれにせよ、自らの思う自由、地ならしという目的のためにどんな手段も厭わず進んだという意味では本当にしっかり進撃している。ミカサのレールに乗ってはいるが。目的意識は人一倍強いよ、本当に。よくぞたくさん人を殺してくれました。
始祖ユミルの解放でさえ、副次的な効果だったのではないか。エレンは地ならしして外の世界を思いのままにし、一番の自由を得られればそれでよく、104期や島のみんなを助けたのは自我が壊れないよう、人間らしさを保つための最後の砦で、始祖ユミルの解放はミカサが選択した。エレンには大した関係なんてない(とすると、あのバックハグが謎なわけですが)。
本当に怖いのは、あのバックハグはマジで始祖ユミルの解放で、そのあとオカピやら何やらのあれらはエレンがやっていた……としたらどうします?
グリシャを脅迫したように、ヒストリアを恫喝したように(私はあれは恫喝だと思っています)、始祖ユミルを脅迫していたら。ありえそう。もしくは始祖ユミルがエレンに手を貸していたら。
だってさ、始祖ユミルは愛に苦しんでいたのだ。死のない道という世界で恐怖から逃げ出したくなりながらも自らの愛で縛り付けられていた。だとすれば、彼女の目的は死ではないか。愛からの解放、道からの解放は彼女にとって死を意味する。そういう彼女が人類虐殺を望む理由など皆無だ。
生命は増えるのが目的だとジークは言った。死には恐怖という罰則があり、それから逃れるために始祖ユミルは死のない世界へ逃げ込んだのだと。
そんな人間が、なぜ人類を絶滅に向かわせたいと思うのだろう。自らの死も怖い人間が他人を殺せるか。
始祖ユミルが死ぬため、愛から逃れるために手を貸せ、とエレンが言ったのならめちゃくちゃに納得できる。最後のあたりは読んでても始祖ユミルの意志なのかエレンの意志なのかよくわからなかったし。
正直、アルミンを捉えたのもエレンの意志ではないかと思う。あるいは、エレンに影響された始祖ユミルの意志。その展開がレールの道筋にあるからそうしたのだろう。アルミンを捉えてジークを説得できればジークを殺して虐殺停止へ導ける。そんなこと考えるのは始祖ユミルじゃなくてエレンだろう。
まあそれでも謎は残るんですけどね。なんでラムジーを睨んでたんだよとか。次はそれについて考えよう。その前にエレミカのキスのときの話をする。
エレンを殺してキスをする(これはさよならのキスだと私は思っている)ミカサを微笑んで見つめる始祖ユミルの姿は、やっぱりどこまでも愛への憧憬だろう。ひょっとしたら死への憧憬とも言えるかもしれない。ようやく死ねる、という。まあでもやっぱり愛だろうな。彼女が経験したかったはずの愛だ。
愛を微笑んで眺めることのできる始祖ユミルが、ラムジーとハリルの兄弟愛を羨望で憎らしく睨みつけた線はまあ薄いだろう。とすると、あの始祖ユミルが始祖ユミルなのかも微妙だ。始祖の力ってかなりなんでもありっぽいし、始祖の巨人の能力を持つエレンも自身の意識を始祖ユミルに乗せられるのではないか。最後たくさんの9つの巨人がその意識を乗せていたし。
そう思うと、始祖ユミル(の姿をしたエレン)が踏み潰されるラムジーたちを睨みつけていたのも合点が行く。睨んでいたというか、目に焼き付けていたのかもしれない。自らが助けた少年が自らの手で死んでいくのを。
まあ細かいところに粗はあるだろうが、そんな感じで考えていけば、どういう物語だったかがわかってきそうな気もする。ハルキゲニアによる皆さんの巨人化が何だったのかはいまだによくわからないが。巨人化能力がなくなったことをわかりやすくマーレに知らしめるためかな?それもエレンの意志を反映した始祖ユミルによるものかもしれない。
この話がどういう話だったか、だが、悪役は悪人とは限らない、これに尽きるのかもしれない。
社会性がある人間の裏側にとんでもない激ヤバ狂気が眠っていることがある。社会性が妙にあるおかげで、激ヤバ狂気を実現させるときに社会性ヴェールを被せて、狂気が他人にバレないようにできる。だから最後、社会性ヴェールon激ヤバ狂気を見た他人はその社会性に騙されて、俺らに会いに来てくれて律儀なやつ、君の過ちを無駄にしないと言ってしまう。
そうじゃないんだよ!!!!!!!!!!
最初っから平和なんかほんと、ほんとーにどーーーーーでもよかったんだよ。だって本当に平和にするだけなら、他国の軍事施設ブチ壊して島の軍事力向上させてけばいいんだから。ここまでやる必要なんかどこにもなかったんだから。安楽死計画採用したって良かったよね?
人類の8割は死んでパラディ島は健在、アルミンたちはマーレでは英雄になれたので信用されて大使になれたものの、圧倒的な軍事力を誇るパラディでは裏切り者なので対等な条約を結んでもらえるかも微妙、すべては女王頼み。2割しか人類が生き残らない中で軍事力を誇るエルディア帝国の復活である。おめでとう!そう、こうやって歴史は繰り返すのだ!さあ、元気にこれまで自分たちを差別してきた他国の奴らを差別してやろうじゃないか!今度は強いのはこっちなんだから反撃なんか怖くないもんね!
パラディが勝者なのだから世界はパラディのものだ。パラディにとって裏切り者のアルミンたちは、世界にとっては英雄でもなんでもない。巨人の力もないんだから恐るるに足らぬ、丸腰の裏切り者だ。
命の保証をしてくれるのは女王だけ。その女王だって巨人の力が消えた今、権力に正統性があるかすこぶる微妙だ。軍の力が強いならいつ暗殺されてもおかしくないだろう。シビリアンコントロールをし始めて僅かな期間だしね、しかも国旗見ましたか?双翼に2本の銃が重なってるんですよ。
島の裏切り者と手を結ぶ彼女の立場が危うくならないはずがないし、ほんと、暗殺はいつあってもおかしくない。
これが平和なんでしょうか?本当に?104期のためを思ったと言えるんでしょうか?
私はそうは思わないなあ。
この話、戦争なんか最初っからどーーーーでもよかったんだよ。社会性のある激ヤバ狂気人間が、その狂気を実現させたあとも最後まで誰にもその狂気に気づかれることなく一生を終え、社会性のある人間として死んだホラーだよ。あなたの隣にも、社会性のあるふりした激ヤバ狂気人間がいるかもよってホラー。最初から、戦争の話として読むことが間違ってたんだ。そうとしか思えない。そう思わないとこの話を受け止められない。
※テーマ①マイノリティの属性をなくしたエンドについて→https://fusetter.com/tw/zdVK9q0m#all