復活のルルーシュの世界線は何故たったの一年後でなければならなかったのか、そして何故ルルーシュは白痴でなければならなかったのか。それは私たちの知るルルーシュを他の誰にも改変されたくなかったからだと思うんです。
※T監督をはじめとする、コードギアススタッフについての妄想です。コードギアスについての考察ではありません。この時点で不快に思った方は、どうかスクロールしないでいてください。これは、十年コードギアスを追いかけた私を、私が納得させる為だけの文章です。
コードギアスは、この復活のルルーシュによって、「コードギアス~反逆のルルーシュ〜」という固有のものではなくなってしまいました。サン〇イズを担っていく、明日のアニメ業界に続いていく、新たなシリーズとして進んでゆくものになりました。元からコードギアスを発注された時、「シリーズものになる」為に生まれた作品です。だからこそ、一目で何のアニメか解るように「ギアス」という固有名詞のある超常の力を作品に取り入れた。この言葉さえ出れば、コードギアスは続けていける筈だった。ですが、コードギアスは、あまりにも主人公のルルーシュを魅力的に作り過ぎてしまった。もう、これからのコードギアスには、ギアス能力よりもルルーシュが世界観の形成に求められるようになってしまった。
彼の人生は、生まれてから死ぬまで、全部を反逆のルルーシュのスタッフたちで作り上げた筈だった。彼を後世のコードギアスに使うに、最も簡単で誰もが思いつくやり方は、死者蘇生だった。だからルルーシュは、復活するしかなかった。この先に、誰も、彼の墓を暴かないように、先に暴いておくしか手がなかった。
そしてその復活は、あまりにも早過ぎると誰もが感じても、一年後が限界だった。何故って、1年以上の時が空けば、「あのコードギアス 反逆のルルーシュの、空白の〇年の物語」が作られてしまうから。それでは「ルルーシュ」の人生に、他人の手が入ってしまう。
1年でも、作られてしまうかも知れない。かと言って、あれだけのことをしておいて悪逆皇帝として殺された翌日には復活していた、なんてことは出来ないし、やりたくない。では、どうするか。その答えが、「創作するに魅力のないルルーシュ」を作ることであり、あの白痴ルルーシュではないかと思いました。「あー」とか「うー」しか言えない、なんの力もないルルーシュ。あのルルーシュで、ルルーシュが主人公の物語はきっと作れない。
そんな使い辛いものを使うよりは、どんな風にも使い易く復活させた、「永遠の命があって」「絶対遵守のギアスが使えて」「みんなに愛された性格と、世界征服を成し得るほどの頭脳を持った」L.L.を使うでしょう。
これってルルーシュが復活の作中でシャムナに使った手だと思いました。戻せる時間は決まっているなら、その時間を「眠っている」ものにすれば、なんにも出来ない。過去は改変されません。
作中ラストで、扇と玉城が「俺達は正しいことをしてるよな」「何が正しいかは後の歴史が決めるだろう。俺達は、良いと思ったことをやるしかないんだ」とやり取りしていて、あんまりにも、あんまりにも、私にはこれが、コードギアスのスタッフからのメッセージにしか思えなくて、全然そうじゃないと思うし、これは扇と玉城の台詞なんだけど、「それがスタッフからのメッセージであるかも知れないこと」が、私にとっては救いでした。
私は、コードギアスが大好きです。