新海監督作品、初期作から一貫して自分が感じてるのが大きな喪失と、それでもそれを超えて前を向いて生きていく、ということで、『すずめの戸締まり』はハッピーエンドの形を取りつつそのテーマに真っ正面から向き合った感じがしている。
たぶんすでに100万回くらい書かれてそうな雑な感想だけど。
初期作のネタバレになるから細かいことは書けないけど(ふせったーなのに)、『君の名は。』より前の作品はだいたいビターエンドで、たとえば『ほしのこえ』も誤解されがちだけど最後はハッピーエンドではない(二人の結末は監督が明言している:https://www.cwfilms.jp/hoshi-o-kodomo/report_01.php )。いずれの作品も主人公は大きな喪失を体験する。
それでも『ほしのこえ』の終盤、主人公と過去の自分、未来の自分が対話するシーン(今回のすずめのシーン完全にこれだ)で、あるメッセージが主人公に伝えられたように、その喪失をこえて「ずっとずっと、もっと先まで」行かなければいけない、というのが新海監督作品の通奏低音だと思っている。
『秒速』はよくネットミームで語られがちだけど、『彼女と彼女の猫(原作短編)』も『雲のむこう』も『言の葉』も、そしてもちろん『星を追う子ども』も、信濃毎日新聞のCMですらその要素あるなあと思って観てきた。
だから『君の名は。』のラスト直前で「またか! またそれか! やめてくれ!」と(半ば冗談で)思いつつ、その後に訪れた結末はカタルシスを感じながらもちょっと意外だったし、『天気の子』も須賀さんにその要素を託したのかなあと思いながら観てた。まあ最後ハッピーエンドにしないと売れないし、今の大規模スタッフワーク制作体制だとそうならざるを得ないよなあと思っていた。
それが今回、完全に原点に戻ってきた感じがして、しかも恋愛部分ではハッピーエンドの形にして観客を満足させつつ、むしろそれまでは単に恋人(といっても本人達にとってはかたわれでありこの世界のはんぶんなのだけど)の喪失感だったのをもう少し普遍的な、僕らがあの日いろいろな形で感じた喪失にリンクさせ、それでも僕らはその先の世界を幸せに生きていかなければならないというメッセージを強く打ち出したという印象を持った。むしろ恋愛要素を喪失の対象側ではなくて、その先の世界を生きていくための礎の側に持ってきたことで、基本構造を崩さないままハッピーエンドにしてるやり方が実にうまいなあと。かつての作品であれば「草太さんがいない世界」をラストに持ってきたかもしれないw それを今回は「怖い」と言わせて逆に物語を転回させる原動力にしている。すでに喪失を「知っている」からこその怖さであり、これまでの作品は喪失する前から現在進行形で描いてるのに対して、今回は「喪失後の物語」なところは新しいかもしれない(過去作でもモリサキ先生とか須賀さんはそうだったけど)。
あえて固有名詞や具体的な日付を今出したことに賛否両論あるのはわかる。個々人にとって喪失とそこからの再起のプロセスの速度もその深さもぜんぜん違うから、たとえこの先何十年経っても、早すぎると思う人、見て後悔する人は必ずいるだろうし、ある種の慎重さは必要だ。ただ今回、糸守のような架空の地名や事件に仮託するのではなく、僕らの大部分が大なり小なり経験した出来事を具体的に出すことによって、単なるフィクション内の喪失ではなく一人称で振り返り、そして前を向く、というプロセスを体験することができたように思う。実際、自分の場合、自分でも忘れていたようなさまざまな記憶や感情が思い出されて、物語の根幹についてはまだちょっと冷静に感想を記せないでいる(自分は当時、幸いにも大きな喪失を体験していない。ありがたいことだと思う。でもだからこそ「忘れていた」ような小さな記憶が再生されて、それで多少動揺していることに自分でも驚いているのだ)。
そして、観ている最中はあまりの直接話法にびっくりしたけど、今思うとまだ痕跡や人々の記憶が生々しく残っているうちに描いてくれて良かったと思う。終盤のすずめの実家シーンがどこかはわからないけど、2012年頃沿岸(閖上地区)を訪れたときに見た光景とそっくりだった。礎石とかマンホールとかのディテール。(当時撮った写真を今回あらためて見返してみて、写っていた建物の意味などを知った)。今はマンションなどが建って付近もかなり変わってきているみたいで、街が再生していくのは本当に喜ばしいことだし、部外者が何か言える立場ではまったくなくて非常におこがましい発言なのは承知しているけど、少なくとも自分はあの光景を忘れないようにしたいと思った。終戦の日の光景や戦後の焼け野原を自分の目で見た人はもうほとんどいないのに、なぜか共通記憶のようなものが共有されている。それはたくさんのいろいろな映画や小説が培ってきたものであって、この映画もそういうマスターピースの一つになるのかもしれないし、今後見るたびにまた色々思い出すのだろうなと思った。
どうしても自分語りになってしまっていけない。もう少し咀嚼して気力があったらまた感想書くかもしれません(みみずの扱いとか、椅子のパラドックスとか(組紐的なやつ?)、いつもの新海的東京とか、いつもの時間を超越したやり取りとか、いつもの水没モチーフとかつてあった街とか、気になってるところはある)
追記:みみずの話、というか閉じ師について少しもやもやしていた部分を書きました
https://fusetter.com/tw/raZggH00