@tos
昨夜ふとんに入ってからしばらく考えてたことを 久々に文章でかたちにしてみました
「ヰ書」に寄せて(ねたばれちゅうい)
「ヰ書」に寄せて; いたみ
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大叔父は気難しい人だった。親戚の集まりにもあまり顔を出さず、笑うことも少ない人だった。子どもが見たら、普通は少し怖いと思って、遠ざけたがる類の人間ではなかったか、と思う。
それなのに、僕が彼と――世間一般に云われるほどかはわからないが、おそらく親戚筋の中では抜きんでて――仲が良かったのは、いまにして思えば、彼は僕の性質をどこかで、もしかしたら一目で、見抜いていたのかもしれない。書籍を愛し、知識を愛するがゆえに、狂気を恐れない。狂気を恐れず、さりとて自らは決してその深淵に踏み込まず、踏みとどまることができる。僕は小説を書かないが、僕の中には僕が出会った物語の、そしてそれを描いた人々の、狂気と、そしてそれに抗うための葛藤が、慟哭が、喘鳴が、抵抗が、蓄えられている。
彼がのめり込み、そしてついには消し去ってしまうほうがいいと考えたそれらを、僕ならば葬り去れると、――それはきっと僕の自意識過剰で、ありていにいうならば、感傷、のようなものなのだろうけれど。
かつてこの部屋を埋め尽くさんばかりに存在していた、かぞえきれないほどの書籍。そのすべてを処分するのは、たいそう骨が折れた。
僕は、小さいけれど、本屋の主だ。書籍の流通には一般の人よりも詳しいし、手早い処分の方法もきっと知っている。
けれど、遺された本たちをその流通に乗せようとは思わなかった。すべて残らず、自分の手で焼き捨てよう、と思った。蔵書の中にはきっと貴重な本があったろう。なんでもない人たちを喜ばせるだけの、平和な本もあったろう。けれど、もし万が一、そうでないものが交じっていたら。ありうべからざる知識が、あるまじき何ものかの手に渡り、そして、――また、あのようなことになるのであれば。
そう。これは僕の単なる意地だ。そんな可能性、考えたところでいくらある。砂漠の砂からたったひと粒の星のかけらを拾い上げるようなものだ。だから、これは僕の単なる意地であり、――彼らに対しての、けじめでもあるのだろう。
最後の束を段ボール箱に詰めて、ああ、と思わず大きなため息が漏れた。いや、本当に大変だった。僕はもともと、身体を動かすのはあまり好きなほうではない。だからこそ、いまどき冴えない昔ながらの古本屋なんて職業にずっと収まっていられるのだろうけれど、やっぱり歳だけはごまかせない。積み重ねられた本の重みはそれこそ、いやというほど知っている。年々、一度に運搬できる量も衰えているな、と自覚もある。
なのに、暇をみつけては片道二時間の山奥に通って、そこで本を箱に詰めては汗水垂らして持ち出して、なんて、まるで勤勉な墓泥棒みたいなことをやっている。……いや、僕がしているのは故人からの依頼を受けた正当な遺品整理であって、なんら後ろめたいことはないのだけど。
燃やしてしまったほうがいい、という、遺された言葉を思い出す。
やめとけやめとけ、ガチなやつだぞ、と呆れたように言った、その顔を思い出す。
そのたびに僕は、考えることをやめて、棺桶がわりの段ボール箱に、物言わぬ本たちを詰め込んでいった。
――腰いわしたら、灰田先生に診てもらうことにする。
「……新しいかかりつけ、探さなきゃなあ」
ハハ、と笑ったつもりだったが、それが本当に音になっていたかは、自分でも自信がない。
――俺がいくら言ったって、自分でケリがつかないとどうしようもない問題かもしれないけどさ。
ああ、まったく、本当にその通りだ。
自分で言っておいてこのざまじゃ、どんな顔で突っ込みを入れてくるやら。
そう思って微笑んで――ずしりと、胸が重くなった。
*
最後の一冊をそっと置いて、静かに火を点ける。
パチリ、というかすかな音のあと、炎はゆっくりと本の表紙に燃え移り、やがて庭先にできた紙の陵を包んでいく。
それをぼんやりと眺めながら、僕は煙草に火をつけた。
やめたと思っていた煙草に手が伸びたのがどうしてだったのかは、自分でもわからない。ただ、燃えていく本たちに一抹の憐憫のようなものを感じたのは覚えている。いたたまれなくて、――もしかしたら、一緒に燃えたかったのかもしれない。炎のかわりに煙で肺を満たして、そして吐き出せば、いつかはすべて消えてなくなると思ったのかもしれない。この、胸の中にわだかまっている、黒に近いほどの灰色の、息苦しい塊のようなものが。
教団を抜けるのは、ヤクザの足抜けのようなものだ、と、灰田はあの手紙で言っていた。
きっとそうなのだろう。なんの知識も得ずじまいだった僕でさえ、ただ相対するだけで言い知れぬ恐怖を覚えるような人物がいる場所だ。やめます、と言って、はいそうですか、と聞き入れてもらえる可能性は、万に一つもないだろう。
ヤクザやカルトが登場する小説ならば、かぞえきれないほど読んだ。縁を切ろうとした人間がどんな目に遭うのか――虚構の世界はむしろ優しいのではないかと、そのくらいの想像はつく。彼はどうしているだろう。無事に過ごせているだろうか。痛い目や苦しい目に遭ってはいないだろうか。――それを考えると胸が痛むが、一方で灰色の塊は、なぜだか少し、その見通しのきかない色彩を和らげるような気がする。
けれど、その希釈は一瞬のものだ。一呼吸ののちにはまた重圧を取り戻し、まるで本当にそこに存在するかのようなありさまで、僕に真の命題を突き付けてくる。
――そう。
辛いのは、彼が苦しんでいるかもしれないからじゃない。
彼が苦しんでいるかもしれないときに、自分がどうあっても手を差し伸べてやれないからだ。
あの手紙が「遺書」だったのだと気づいたのは、あれから間もなくのことだった。
いや、本当は、読んだ直後から気づいてはいたんだろう。僕が僕自身の感情と折り合いをつけるのに必死で、彼があの手紙を書いたときの心境に思いを馳せることができたのが、少し後になっただけのことだ。
「遺書」とは、去り逝く人が、遺してゆく人にあてて書いた手紙のこと。
なるべく生き延びる努力はする、なんて言っていたけれど、そんなものが、いかほどの慰めになるものか。
黒く灰色の塊が、重く、重く、胸の中で、吸い込んだ煙にそうっと撫でられて、――――ほんの少しだけ、身じろぎをした。
――灰田。俺はね、
ぱちり、と炎から音が立った。
見ると、ゆらめく朱色の中で、最後までかたちを保っていたのだろう一冊が、ほろりと崩れて、焼け落ちていくところだった。
ふと、頬に伝うものがあることに気づいた。
不意に、胸の塊から、声がした。
――もう、会えない。
(……ああ、そうか)
――二度と、会えない。
(だから)
それは、僕の中に初めてうまれた感情ではなかった。ただ、あまりにも日常からは縁遠くて、記憶の片隅に追いやられていただけのものだった。
父を、母を見送ったとき。急な病や不慮の事故で逝った友人を見送ったとき。それは、胸のどこかから湧いてきて、あつかましくも胸の真ん中に居座って、それでいながら寂しげにうずくまり、ただひたすらにすすり泣いている。
かなしい。あなたに会いたい。会って話をしたい。
どれだけのものが、あなたと僕との間にあったろう。なんの他愛もない、意味も、残るものも、なにもなかったかもしれない。
それでも。
……それでも。
あなたがいなくて、寂しい。
あなたに会えなくて、かなしい。
寂しい。かなしい。かなしい。かなしい。
もう一度、せめて一目だけでも、あなたに会いたかった。
塊は、息をすることを思い出した赤子のように、ただただ拙い言葉を吐き出し続ける。
同時に少しずつ、胸の靄が晴れていく。炎とともに、天に向かって、解けていく。
それは悼みだ。かなたにいってしまった人への手向け――すべての悔いを飲み込んで、安らかであれと祈る言葉だ。
お前の笑う声を、僕はもう思い出せない。
お前の笑った顔も、お前が最後に見せた、あのどこか寂しげな微笑みに塗り替えられてしまった。
いつか僕は、お前を忘れるのかもしれない。お前を思い出すたびに沸き起こる感情を、忘れるのかもしれない。
もしかしたら、気の遠くなるような未来まで、忘れられないのかもしれない。
忘れたほうが幸せなんだと、お前は言うのかもしれない。
でも本当は忘れないでいてほしいと、心のどこかで思っていてくれるのかもしれない。
ひらいた距離は、彼岸と此岸だ。囚われることを、きっとお前は望むまい。
それでも。
それでもいまは――いまは、ただ。
お前を思って泣くことを、何も言わずに許してほしい。
お前を悼んで涙するのは、これが最初で、最後にしようと思うから。
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結局クソデカ感情吐き出してんじゃん プークスクス
とか茶化さないとやってられないいたたまれなさである
せっかく光属性日光浴!とか言っていただいたのにコノザマですよ
でも、誰かに言霊を明け渡したかったんだ
吐き出すことって大事ですよね 当面スッキリしました
これにて浄化と相成り候
とカッコよくいきたいところだが、実際どうなるかはこれからのお楽しみ
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