その………あの人の現地妻になる夢小説書きました……………これでいいんですか…………?
「ああごめん、前を見てなかった…大丈夫?」
「いえ…」
「そう、よかった」
そう言って、あの人はにっこりと笑った。
今思えば、あれが一目惚れというものだったのだろう。あの人と出逢った日からずっと、あの人の事ばかりが頭に浮かぶようになった。
名前も知らない。どこに住んでいるのかもわからない。
身なりから旅人だという事だけはわかる。そして、マトーヤ様の友人だという事も。…きっと数日もしないうちに、どこかへ行ってしまうのだろう事も。
だから、この気持ちは見えない天の星のように、光の中に隠してしまおう。スリザーバウを歩くあの人の後ろ姿を目で追いながら、わたしはいつか来る別れを待っていた。
それなのに、夜が初めて来た日、あの人は星と一緒にわたしの気持ちも見つけてしまった。
「ね、どうして星じゃなくてこっちを見てるの?」
「え?」
「だって…夜の民にとって、星って大事なものなんでしょ?せっかく夜が戻ってきたのに、なんで星を見てないのかなーって」
「…えっと、その」
言えるわけがない。星よりもずっと見ていたいものがあるだなんて。夜という慣れぬ闇の中で、あなたを必死で見失わないようにしていたなんて。
あの人は子供のような顔で、わたしを覗き込んでくる。目を逸らす事が出来なかった。あまりにも綺麗だったから。
星のような瞳が、わたしの前でぱちぱちと瞬いた。
「…もしかして、眩しかった?」
「え、何がですか?」
「あ、違うの?…そっか。ううん、変なこと聞いてごめんね?」
「いえ…でも、もしかしたら、そうなのかもしれません」
ああ、心臓が痛いくらいに鳴ってる。きっと顔だって赤いに違いない。あの人がこんなに近くにいて、わたしを見ているだなんて。
「やっぱり?そっかぁ…うーん、少し時間ある?」
「えっ?は、はい」
あの人の手がわたしの手を掴む。暗闇の中で、あの人の顔がわたしの頬に触れそうな距離まで近付いてきた。
あの人は小さな声で、わたしだけに聴こえるように囁く。
「ねぇ、ふたりきりになれる場所に行かない?…どう見えてるのか知りたいんだ」
これは、夢なのだろうか。夢に違いない。
空には闇が広がっていて、あの人が隣にいて。
わたしはあの人の手を握っていて、ふたりきりで誰もいない場所にいて。
けれど指先から伝わる温度と冷たい空気が、ここが現実なんだって教えてくる。
「じゃあ、もういっかい聞くけど…どう見えてるの?どんなふうに眩しいの?…教えて?」
あの後わたしは、あの人の前で恋心を洗いざらい喋ってしまった。
あの人は途中までは真剣な顔をして黙って聞いていたけれど、だんだんきょとんとした顔になって、最後には笑い出して。
「ああ、そうだったの!…ううん、あのね、自分が本当に光ってるんじゃないかって、ちょっと心配だったんだ」
「えっ?」
突然何を言い出すんだろう。呆気に取られたわたしを見て、あの人はしまったという顔をした。
「……あっ。えーっとその、聞かなかった事にして?」
「な、何をですか?」
「うーん、ここであったこと全部、かな?…ヤシュ、あ、マトーヤに知られたら怒られちゃうかもだから」
「わ、わかりました」
「その代わりといってはなんだけど…ね、さっき聞いた話、本当なんだよね?」
「は、はい」
「自分はやる事がいっぱいあるから、あんまりいっしょにはいられないんだけど…例えばさ、1年のうち必ず1回だけ君に会いにいく、っていう約束をするのはどう?」
「約束、ですか?」
「そうそう。いつ会いにいくとかは、忙しいからきっちり決められないんだけど…時間ができたら、ここでちょっとだけのんびり過ごすんだ〜。どうかなぁ?」
1年に1度だけ。あの人を独り占めできる。あまりにも魅力的な誘いだった。
2度と会えない旅人として離れてしまうなんて、わたしには耐えられなかったのだ。
だからつい、現地妻になるだなんて言ってしまった。
多分わたしは恋に溺れていて、都合の悪い事はなにひとつ見えていなかったに違いない。
あの人が昼まで寝ている横でふたりぶんのスープを作っていても、わたしを置いてふらふらと出歩いては朝に戻ってくるあの人を見ていても、友人から忠告されても、わたしはあの人を独り占めしているという優越感が、わたしの目を曇らせていた。
そうじゃない、と気付いたのは3年目の秋の日。あの人がわたしの知らない人とふたりきりで笑っていて、指先を絡めて笑っているのを見た瞬間、わたしの中で何かが崩れていく音がした。
わたしを置いて、ふらふらと出歩いていた理由も。旅先の話をしない理由も。どうしてほんの僅かな時間しか会いにこないのかも。全部、全部理解してしまった。
家に帰って、あの人の寝台の上で声を上げて泣いた。何日も何日も泣いて、あの人の残り香がする寝台が涙でいっぱいになるまでずっとそうしていた。
けれど4年目の春が巡ってきて、あの人がわたしの家にやってきた時、わたしはあの人に何も言えなかった。
言ってしまえと、心のどこかが囁く。こんな不毛な関係を続ける意味なんかどこにも存在しないのだと。それなのに、わたしはあの人を前にすると、あの人がわたしの元からいなくなる事が耐えられなくなってしまって、何も言えずに押し黙ってしまうのだ。
あの人はそんなわたしを見ても、なにひとつ気付かなかった。わたしの様子がおかしい事は、友人達はみんな気付いてたのに。
あの人のいってきますにもただいまにも、笑顔で返す事ができない。あの人がどこかへ行くのが耐えられない。わたしの知らない人と会った服で帰ってくるのが耐えられない。
あの人といる時間は、もう幸せではなかった。けれどあの人と会えない時間は、無限に続く拷問のようだった。
だから、5年目にあの人がいつもの笑顔でただいまと言った時、わたしはこの関係を変えようと決心した。