16/8/8シン・ゴジラに関する感想(政治要素も含む)
全体を通しての感想は、「見立て」の粋、極致であるということになる。或いは、人間の想像力に対し、文脈を読み取る上でという点において、全幅の信頼をおいた作品であるとも言える。
本作で描かれるのは、制御出来ない強大な力と、それに翻弄される人間であり、組織である。それ以上の何者でもないが、この映画を見た多くの人間が「制御出来ない巨大な力」を何らかになぞらえるだろう。それは未曾有の大災害であったり、原子力という過去のゴジラにおいても「核」であったモチーフであったり、あるいはそれを大衆の政治参加、ポピュリズムと解釈することも不可能ではないであろう、ただ熱線を吐く巨大何かが暴れまわるだけにもかかわらず。そして、この制御出来ない力に対して対話を用いず制しようとする、「非(熟議)民主主義的姿勢」へ喝采を浴びせるものに嫌悪感を政治的に覚える者すらいるだろう。
逆に言えば、この「見立て」の享受の技術がなければ、この映画を楽しめる余地は減るとも言える、少なくとも直接的な感情の交歓を軸にした構造ではないから。あるいは、子供にとっては、退屈かつ恐怖なものにしか見えないかもしれない(東京の景色に馴染みのない地方部の子供は東京が蹂躙されることに如何程の情の動く余地があるか)。
改めて、この作品は「描き込まれた空隙の妙」と云うべきものが存分に発揮された、日本の芸術の到達点の一つではないかと、浅見ではあるが述べるものである。
余談であるが、劇中で東京駅周辺が壊滅的被害を受け、甚大な被害に関する様々な政治劇を見せ、その細密さ故ならば描写されてしかるべきだったのに、何一つ言及されなかったものがある。この平成28年8月8日より、我々が直面する事になったそれにより、本作もまた「現実VS虚構」の枠組みへ還元されることになってしまったのは、劇的としか言いようがない(了)