fgo新宿編の好きなとこ感想。真名から何から全部ネタバレ注意。未プレイ未到達の人は見ない方が人生楽しくなると思う。この章の『二次創作』に対する希望と『物語』へのリスペクト感がすごくてすごい
モリアーティとバアルの恨み言は絶対に自分を勝たせてくれない創作者への恨み言でもある。ホームズが主人公なのでモリアーティはホームズには勝てず、マスターが主人公なのでバアルはマスターには勝てない。完璧天才超人であるホームズに負けるならまだしも、3000年かけた計画をどこをどう切っても平凡であると設定された典型的な救世主型主人公に主人公補正だけで破壊されたバアルはそれはもう悔しかったことだろう。
犯罪界のナポレオンなんて称号もソロモンの72柱の魔神なんて肩書も、それを討ち果たすことにより主人公が手にする栄光を輝かせるためのものでしかないのだ。それがヴィランの存在理由なのだから。
だからモリアーティとバアルの目論む犯罪は、実は結構正当性のある復讐なのかもしれないと思わないでもない。人が死のうが傷付こうが、あの新宿の中はどうせフィクションなのだし、それなら自分たちが創作の神を味方につけて、一度くらい主人公に勝つ物語が見てみたい、そういう夢の具現があの新宿なのである(切ない)。
ピーチ姫状態のシェイクスピアは、生まれた時から敗北を運命付けられたヴィランたちによる創作者への復讐である。お前のせいで俺たちは負けたんだってやつである。しかしシェイクスピアは屈しない。より面白い物語のために自分はお前たちを何度でも敗北させるし、時には主人公だって殺してやる、という我の強い創作者である。編集の意見など聞かぬし読者の意見も聞かぬ。書きたいように書くのである。慈悲はない。
しかし新宿には二次創作の希望が渦巻いている。
燕青は原典の中で自分の主人に尽くしに尽くすけどあまり顧みられることはなく退場するらしい。その『原作』への恨み言を吐きながら彼は消滅する。彼はそもそも物語のキャラクターなので、物語に描かれていること以外の人生なんて存在しないはずである。だから彼の人生は物語への登場を終えた瞬間に終わっている。二次元の存在が実際にこの世に生を受けた時、自分の描かれた物語を見てどう思うんだろうね、というメタ的な視点の話になってしまうが、新宿に呼ばれた彼がそこで思ったことは『恨み言』『後悔』だったわけである。キャラクターは大切にしよう。でも彼、前の主人のことちょっと恨んでるけど絶対今でも大好きだよね。そういうとこだよ~!そういうとこ!
ヘシアンとロボにはモデルが存在するが、原典と呼べるほど強いものではない。要は原作におけるキャラが薄い。しかし彼らは新宿という二次創作の中で、自我を持って自分の望みを叶えはじめる。キャラ立ちしたのである。
二次創作は最強なのだ。可哀想な扱いをされたキャラに恨み言を吐かせることもできるし、いまいちこいつキャラが薄いなと思ったらキャラ解釈を引き延ばしてキャラ立ちさせることもできるのである。
創作者を味方に引き入れ、自分が主役側に立ち、かくして悪役たちはいじらしいまでの努力で『打倒主人公』というスローガンを達成しかけた。
しかし、そんなヴィランの悲願はもう一人の創作者であるアンデルセンの出現によって崩れ去る。余談だがアンデルセンを護衛したのがデュマの被造物である巌窟王であるってのがじわじわくる。物語のキャラクターが作家を守っている。巌窟王も結局主人公側の存在であることには変わりはないのだが、当人曰く自分はエンディングを迎える前の巌窟王だとのことなので、心情的には創作者を恨むヴィランの気持ちも案外分からないでもないのかもしれない。何で俺がこんな目に遭わなきゃならんのだ、ってヤツである。
ここからの展開がヴィラン視点にはかなりキツい。アンデルセンとシェイクスピアの宝具は彼らの天敵である『主人公』を大量に呼び寄せてしまう。物語において最も強いのは数値上のパラメータや設定ではない、主人公補正である。しかも全員探偵。総勢200人分の主人公補正による質量攻撃。ここでモリアーティの放つ言葉が何とも切ない。
「ホームズ以外の探偵になんて絶対負けないんだからね!(意訳)」
実に正しい。二次創作だからって何でもクロスオーバーさせればいいってもんじゃない。名探偵が200人集まろうと、モリアーティの天敵はホームズのみである。お前らにはお前らのヴィランがいるだろうが、そっちと戦え、そっちを打ち負かせ、二次創作だろうが何だろうがモリアーティが敗北するのはホームズのみ。
いじらしい。
何ていじらしいオッサンだ。ヴィランとしての誇りを持っている。どうせ敗北すると分かっていても全力で戦わずにはいられないのだ。なんていじらしいオッサンだ(二回目)。ホームズのこと大嫌いだけど大好きなんだね。仮にここで敗北したところでそれは敗北とはカウントされない、何故ならこれは原作者でもない人間が勝手に妄想を膨らませて書いた二次創作、公式設定などではないからだ。
しかしそんなことは名探偵たち──というか、彼らを書いたシェイクスピアとアンデルセンも百も承知なのである。だから彼らは最後に、モリアーティに決して原作では経験できなかったものをプレゼントする。こんな経験したことなかったでしょ?二次創作も悪くないでしょ?そういう類のちょっとした希望である。何だよシェイクスピア、アンデルセン、一次だけじゃなく二次書かせても最強なのかよ。ありがとう。
二次創作の世界でモリアーティは生まれて初めてホームズに勝利しただけではなく、生まれて初めてホームズの味方になり、生まれて初めてホームズと談笑し、生まれて初めて正義の味を味わい、生まれて初めて主人公補正というものを体感した。そしてちょっとそれが楽しかった。悪がどんなに蔓延ろうと正義の光が途絶えないのは、それが輝いているからである。要するに、正義の味方は割と楽しい、時もある(エミヤにこれを言うと泣いちゃうから言っちゃだめ)。
勿論そんなことができたのはこれが二次創作で、決して原作には届かない世界だからである。あの新宿と同じである。あの新宿がどうなろうが人理にも元の世界にも一切影響はないと言われたのと同じように、二次創作でどんなことが描かれても原作には何の影響もないのである(原作を生み出している世界がちょっと変わることはあるのかもしれないけど、それはまた別の因果の話)。
私は、あの世界における幻霊って要するに「二次創作」ってことなのかなと思っている。まあそれを言うなら衛宮一家以外のサーヴァントは全員壮大な二次創作の集まりじゃねーかって話なんだけど、fateシリーズという箱の中では彼らはあくまで一次創作の扱いであると思う。しかし新宿に呼ばれたサーヴァントたちは『※これは二次創作です、公式とは一切関係がありません』っていう同人誌お馴染みのあの口上が横にくっついたまま呼ばれたキャラクターというか。そういうメタな視点を持ったまま物語に介入することを許された稀有な存在なのかなという感じです。
あと最後、ボブとアルトリアオルタがベンヌを破壊するところの聖剣シーン、ホロウのラストでのアルトリアを思い出して胸が熱くなった。堕ちたアルトリアである彼女が星の輝きを見せてくれるんだよ。神か。私は泣いた。ホロウやり返したくなった。こういう演出そのものがなんかこう原作の物語へのリスペクトというか、二次創作万歳な気持ちにさせてくるというか、とにかく星の聖剣は堕ちても美しかった。アルトリア・オルタもまたアーサー王なのだ。
何か展開とかの細かいとこにつっこんでいったら割とキリがない新宿編だったんだけど、二次創作だと思えば全く悪いものではない。二次創作で大切なのは原作への愛だもんね!一度でいいから勝利したかったヴィランと、原典に感銘を受けた同人作家(本業は商業)が夢見た二次創作、それが悪性隔絶魔境新宿!こういう二次創作も悪くないよね!