「デイグラシアの羅針盤」で、最後のルート条件が何故名前だったのかを考えて、世界が分岐している意味をぼんやりとながら考えた。あれは…(全ルートクリア前提。考察好き向け→)
ABルート(第1第2ルート)は、プレイヤーが干渉したことで「より良い選択を求めるキャラクターとしての片桐」が誕生してしまった結果なのかな、と。「プレイヤーが名前を入力した」ことが片桐の存在を歪め、結果としてABルートの世界が成り立ってしまう。そうだった場合、プレイヤーが干渉しないCルート(第3ルート)こそが本来の片桐というキャラクターということになる。
Cルートは元々予定になかったわけではなく、ABルートだけでCルート(プレイヤーの干渉しない世界)の可能性まで推測させようとしていたのかも。
またABルートで終わり(のはずだった)というのにも納得が行くようになる。Bルートの最後で「貴方は誰なんですか?」と訊かれたことで、プレイヤーと片桐が分離する。冒頭でプレイヤーに歪められた片桐が、BルートEDでプレイヤーから解放されるわけだ。同時にプレイヤーも片桐から解放される。この構造はEver17を意識していると言える。
…そもそも始まりがおかしかった。プロローグは33年8月4日の出来事で、その直後に33年8月1日のSHEEP III搭乗前の出来事が起きる。どちらも『VDRに記録することが不可能な場面』だった。『この2つの出来事はシミュレーションではなかった』わけだ。
プレイヤーが干渉したことで自体は悪化した、だがプレイヤーはそれを自覚していない。俯瞰の場に存在するから、生還後に片桐が体験する「シミュレーション行為」と、「過去の出来事」が曖昧になってしまう。片桐が過去を受け入れられなかった本当の理由は「普段の俺はこんなことをしない。何故あの事故の最中だけ、事態収拾のための前向きな行動をできなかったのか?」というモノなのかもしれない。もちろん、プレイヤーに干渉されたことなど彼らには理解できないため、起きたことを受け入れるしかないのだが。